Journalジャーナル

Vol.5 : Dec. 2018

富田文隆さん (家具/木工) × 上野仁史 (「石の蔵」代表)

大谷石と無垢の木、素材を生かす
上野

レストラン入口のガラスドア。木の取っ手は、富田さんがつくってくださったものです。2001年のオープンからこれまで、何万人もの方がそこに手を掛けてくださいました。大勢のお客様の手に磨かれて、いまではすっかりツルツルに。

富田

当初とは全然違いますね。もっとゴツゴツしていましたから。

上野

取っ手を引いて入ると、中は天井まで吹き抜けになった大谷石の大空間がひろがっています。その中央に無垢板の大きなテーブルがあって、両側にハイバックチェアが並び、奥の一段高くなった客席には太い梁と柱が十字に組んであり、テーブルには箱型の椅子。いずれも富田さんの木の仕事です。
初めて富田さんがいらした時のこと、この蔵を見られて、どのように思われましたか?

富田

再生前の蔵に初めて入った瞬間のイメージは、大谷石のはつった跡が深く印象に残りました。一つ一つ石を削り出して積み上げて行った、その想いを感じましたね。変な言い方かもしれませんが、この大谷石のもつ存在感に対する素材として、自分も“本物の木”をぶつけて対峙させるしかないなと思いました。それが第一印象でしたね。

上野

石の蔵と富田さんのご縁は、インテリアデザイナーの新藤力さんからのお声かけでした。まさに新藤さんは、ここを再生するに当たって、大谷石の力に対峙できるような方に家具づくりを依頼したいということでした。
富田さんの作風は力強くて、どちらかというと男性的。この建物に負けないですよね。人が一つ一つ削り出した、エネルギーを投じて産み出した大谷石というものに対して、富田さんも同じようなことを想われてアプローチされたように感じますが。

富田

そうですね。おそらく石を削り出した職人さんたちと同じような想いをずいぶん感じていたと思います。技術ももちろんそうですけれど、素材の持っているエネルギーをいかに生かすかということは大事です。レストランのテーブルはまさにそうですね。

上野

手はかけるけれども、素材の持ち味はできるだけ生かす。木の育ってきた形とか木目とか、そこをできるだけ生かそうという気持ちをいつも持たれていますね。

富田

私の工房は群馬にありまして、地元でつきあいの長い材木屋さんに、いい木目のものをと手配しました。名前の通り、栃木の県木は栃の木なんですね。地元産の大谷石を使った空間ですし、レストランの長いテーブルや、個室のテーブルも栃の木でつくりました。

上野

重厚で力強い趣きのテーブルに比べると、ハイバックチェアはやや女性的な曲線美がアクセントになっています。

富田

天井が高いので、背もたれはいくら高くてもいいんじゃないかっていう感じでつくりました(笑)。なかなかこういう椅子を置けるところはないですから。やはりここはちょっと異空間です。

上野

箱型をした椅子は、たしか何か元になるイメージがありましたよね。

富田

ヨーロッパの昔の教会かどこかにある椅子のイメージ。決して宗教的な意味合いはなくて、テイスト的なものです。

上野

なるほど。合理性とか、ストイシズムみたいなものから生まれる形かもしれませんね。

富田

おそらくそうでしょう。

空間がつなぐ、日本の素材・技術の表現

上野

新藤さんからの具体的なディレクションというのは、どういうものだったのでしょうか?

富田

石の蔵に限っては委ねられたところが多いというか、思いっきり自分の想いをぶつけてやらせていただいたという感じです。新藤さんとはいろいろなことについてアイデアを出し合ってよく話しましたね。

上野

大テーブルの脇に太い柱が立っていますが、どのような意図でしたか?

富田

この空間には、あのサイズしかないと思ったんです。バランス的に、あのくらいの太さが必要かなと。天井の小屋組みには、それほど太い材は使われていなかったんですけれど、この空間に対しては、あの太さの存在感があっても全然違和感ないですからね。

上野

実は、あの柱が現場に運び込まれた時、新藤さんは自分のイメージよりも断然太いと驚かれていました(笑)。

富田

そうかもしれません。でも、あれくらいがピッタリだろうという直感です。天井は見上げるほど高くて大きいし、空間に仕切りもないですから。

上野

設計モデル(模型)があったので、私もどこにどんなものが来るか、おおよそわかってはいたんですが、富田さんから何か届く度に、その大きさとか太さにはたいがい驚いていました(笑)。でも、それは大谷石の重厚感があるために、この空間のバランスにおいてはこれくらいがいいということですよね。

富田

はい。やはり、大谷石の表情がもつ力が、そう感じさせるんでしょうね。

上野

レストラン奥の一段高い客席に設けた大きな梁は、どういった経緯で出てきたのでしょうか?

富田

まず、床を一段高くした小上がりステージをつくりたい、という話が新藤さんからあって、空間の中に梁を飛ばしたいというか、象徴的に生かしたかったんです。それで、ステージの梁は少し曲がったものを探しました。曲がっている木って、すごくエネルギッシュですよね。そういうものを大谷石の壁と対峙させてみたかったんです。材は欅で、3人がかりで尺5寸(約45センチ)の柱と組み上げました。日本家屋の梁のイメージがちょっとあったんです。大きなスクリーンに竹の木舞を使うと面白いんじゃないかということもそうですが、日本の素材を使って、昔からある日本の技術を使いたいというのが基本でした。

上野

なるほど。対峙する大谷石というものがあるゆえに、向かい合うプロセスの中から形なり太さなり表現が生まれて、培われてきた技術もあって、こういう家具や空間となったわけですね。曲がった木の梁と真直ぐな太い柱を十字に組んだことによって、ステージはかなり象徴的な場になったと思います。

富田

余談ですが、レストランがオープンした後のこと。カトリック教会の神父様がこちらで食事をされまして。ちょうどその方は修道院の建て替えを検討されていたときで、ここに入った途端に啓示を受けたそうです。よほど感動されたのか、すぐに連絡をいただいて、その修道院のための家具を頼まれました。
レストランの空間は、教会を意識したわけではなかったんですけれど。ただ、ここの空間づくりは苦労して考えたというのがあまりないほど、アイデアが次々湧き上がるというか、天から神が降りてきたかのように自然な流れで出来上がった場所でした。もしかしたら神父様には、ステージに十字に組んだ梁と柱が、十字架を彷彿させたのかもしれません。

巨大レリーフは石職たちへのオマージュ
上野

レストランから続く通路の先にギャラリーショップがあり、通路を歩いて行くと、正面突き当りにある巨大レリーフに招かれます。このレリーフも富田さんの作品です。工房からこちらへ運び込まれて、ギャラリーショップの壁に設置された瞬間は“疾風怒濤” と言うんでしょうか。ありとあらゆる動き、想いが交錯しているようで圧倒されました。

富田

これは大谷石の職人さんたちへのオマージュです。5種類以上の樹種を使いながら、彼らの仕事に負けじと頑張ったんです(笑)。最後の最後に指を怪我してしまいましたけれど。高さ5メートル、幅3.6メートルの巨大なレリーフになりました。大きいので4つのパーツに分けて運び入れました。とにかく無我夢中でつくって、完成して我に返った時には感動していたほどです。

上野

少し出っ張りというか棚のようなところをつくっていただいて、商品を置けるようにしていただきました。あくまで作品の一部としてですが。

富田

ギャラリーショップには、この大きなレリーフとアールの壁面をつくりましたけれど、自分のアーティスティックなところを前面に出せたんですね。最初のレストランの時は、柱や梁の太さについてとか、ある程度の制約を感じつつ愉しみながら自分なりのものをつくっていました。

上野

そういう意味では、ギャラリーショップの空間には、あまり機能は求められていませんでした。でも、通路の先に何かほしいと新藤さんは考えられていて。それで、機能から解き放たれたアーティスティックな表現を富田さんに委ねられたんですね。

富田

やはり大谷石のはつった跡、人の手の跡というのが自分の奥深くに入って来ていたから、レリーフもこの表現になったんだと思います。以前からこのような仕事はやってはいたんですけれど、もっともっと深まったというか。自分としては大成功で、いま見てもいい仕事だなと思います。「刻み」というシリーズ名で、いまもこういう作品をつくり続けていて、いろいろな施設に飾っていただいています。

上野

振り返ってみると、石の蔵のリノベーション(コンバージョン)は3回に分けて、蔵全体の再生に広げて行けたことがよかったようです。結果として1回毎に、そこにエネルギーと時間を凝縮して費やせたので。当初想定していた予算をはるかに超えてしまって、実はとても苦労したのですけれど、何とか軌道にのせることによって、こういうものがあるからこの店の価値が高まったという結果を得られたわけです。
一流の作家というのは、限界を超えて行くというか、私の想像を超えて行くというか。ここまでいらないのではないかと思うところまでの表現とかサイズ感とか厚さとか、そういうものを提示されるんですね。

富田

自分にとってもここは特別な場所となりました。

photo by Keisuke Osumi / Coil