石の蔵ジャーナルishi-no-kura : Journal

Vol.7 : Nov. 2019田中潤さん (鉄作家) × 上野仁史 (「石の蔵」代表)

用と美のオブジェ
上野

レストランにある輪の形をした大きなオブジェ。田中潤さんに依頼してつくっていただいた鉄の作品です。レストラン右奥のガラス戸前に置いていますので、お客様にも馴染みがあるかと思います。あの場所は以前から度々、お客様がガラスだと思わずに通られてぶつかってしまうことがありまして。わかりやすく鉢植えなどを置いてしまうと、いかにも通らないでくださいという感じで機能面だけの配慮になってしまいます。立ち入らないようにする機能と同時に、むしろそれがあっていいという物を置きたい。用と美ではないですけれど、そこを兼ね備えた物をつくっていただきたいと田中さんにお願いしました。

田中

実際にガラス戸の前に立ってみました。向こうへ行きたいという感覚をなくすにはどうしようかと。機能面が見えすぎないように、空間とのバランスや、そこにあるいろいろな要素も考えて。輪のような形状を想定したときに腑に落ちたんですね。石の蔵の空間には、やはり力強さのようなものを感じていたので、作品に自分なりの力を通したら、気持ちもスッと通るような感覚を出せるのかなと。物づくりは物理的な解決だけでなく、心の面でも気持ちよい感覚になるようにしたいので、いつもそういうことを考えています。

上野

田中さんはご自分の腑に落ちるまで、真摯に考えを重ねられますよね。石の蔵の仕事でも、そうした姿勢が作品につながっています。あのオブジェは見事なバランスで、結界のようでありながら美しい佇まいで成り立っています。私は抽象的な物が好きなんですね。抽象美も様々あるでしょうけれど、田中さんの造形美には非常に惹かれるものがあります。

田中

初めて上野さんとお話したときにも、東京のHIGASHIYA GINZAさんや八雲茶寮さんに置いてあった私の抽象的なオブジェを見て、印象的に思ってくださっていると伝えてくださいました。まだ私が独立する前の仕事でしたから、おそらく10年くらい前ですかね。

上野

田中さんの作品との出会いはそこでしたね。後日、青山のサンドリーズさんから田中さんをご紹介いただきました。私のオフィスに飾る立体作品をつくっていただいたり、個展にお邪魔したり、田中さんの作品は自宅にも飾っています。度々お会いする中で、田中さんと仕事においてより関わりたいと思ったんですね。石の蔵の仕事として、まず先ほどのレストランに置いているオブジェをつくっていただいて、その後、石の蔵の第3次リノベーションではラウンジの空間づくりに深く関わっていただきました。

ラウンジと鉄の作品
上野

本館の奥、2階にあるラウンジは、2016年に行われたリノベーションにおいて完成した空間です。昼間はカフェとして飲み物やスイーツを楽しみながらくつろいでいただいたり、夜はアラカルト料理やお酒を楽しまれるお客様をご案内しています。婚礼の際はホワイエにもご利用いただいています。1階のギャラリー・ショップから螺旋階段を上がってくると、まず目に入るのが田中さんの作品です。

田中

ラウンジの壁に沿って、高さ2メートル40~50センチくらいの作品を配したパネルを6枚つくりましたので、かなりのボリュームです。螺旋階段の手摺り、階段支柱上部のオブジェ、ラウンジのテーブル本体とそこに設置しているオブジェ、サービステーブル、ブックエンドなどもつくりました。

ラウンジの壁に沿って配された6枚のパネル。それぞれ鉄パネルの中央には、高さ2メートル40~50センチの鉄のオブジェが並ぶ。
上野

ラウンジには田中さんの作品が集中してありますね。その世界観によって、屋根裏にある隠れ家サロンのような雰囲気になりました。照明も全体的に暗めで、ちょっと異空間です。照明デザイナーの山下裕子さんが、田中さんの作品と空間の居心地に寄り添って照明を考えてくださいました。

田中

山下さんは、仕事場まで来てくださって、作品にどういうふうに照明を当てるかなど、いろいろな相談をしました。空間そのものは、インテリアデザイナーの新藤力さんが想定する価値観があって、空間の構成も考えられていましたので、私の仕事はその中の物をどう考えるかということでした。例えば、テーブルをつくることは決まっていましたが、具体的なことはまだで、テーブルそのものを何かできないかとか、壁のパネルをどういう物にするかとか、そういうことを委ねていただきました。

上野

私はここに田中さんの美意識を取り入れたいなと思ったんです。田中さんにアイデアを出していただきながら、新しい感性で揺さぶっていただいて、美的に心地よい空間をつくっていきたいなと。リノベーションに当たって、新藤さんと様々な検討をしていく中で、田中さんに関わっていただくことを提案しました。ここは天井は高いけれど近くに感じられて、木は目の前に十分ありますし、もちろん石もあります。そこに鉄という素材が加わることは新鮮で、表現としても面白いだろうと思いました。

田中

大谷石の壁をむき出しの状態で見せるのではなく、パネルを使用していくというお話でした。

上野

本館レストランの大谷石は手掘りのはつりですが、ここの壁は機械掘りで手掘りほど表情がありませんし、排煙のための窓もあったりして、私はノイズを消したいと思っていたんですね。ただ、新藤さんはパネルで全部消してしまうのではなく、秩序的にパネルを6枚配して、大谷石の壁の存在も大事にしましょうと。

田中

そういうことから始まって、私がパネルの表現を考えることになったんですけれど、かなり悩みました。パネルという1枚の面で捉えて何かを表現することは、いつもの自分の鉄に向かって行く流れとは違って、どうしても違和感があって。あるとき面で考えることを止めたんです。6枚というボリュームも、ふだんの自分の仕事量で向かったときに想像がつかなかったですし、おそらくそれはやり過ぎであろうと。自分の表現は、かなり削いでしまうところがあって、それが抽象性とかにつながっていくんですね。面で考えようとすると、平面で構成していきそうになって、何か物語がどんどん生まれていってしまうようで、そこがちょっと違うというか…。
それで、自分が鉄に向かって行く、関わって行くときの行為を潔く出すことにしたところ、それが引き立つあり方と面のあり方を組み合わせるようなプランがフッと出てきて。ここに並んでいる6つのパネルにつながりました。1枚で完成ではなく、それぞれ違う表情の物が6枚、互いに空間に呼応しながら存在しているニュアンスです。

行為性や身体性を通してうまれた6つの作品。鉄に向かっていく行為次第で、出てくる表情は変わる。力強く叩いたり、繊細に叩いたり、それを捻ったり。叩き続ける中でどんどん消えていくような線や、溶断の中でうまれる断面の表情など、鉄の要素を丹念に作品として切り取っている。

上野

鉄に向かって行くときの行為を潔く出す、というのは具体的にはどういうことでしょうか?

田中

6つのパネルは、それぞれの作品で違いますけれど、鉄と向き合う作業行為の中にある要素を取り出して表現しています。基本的には鉄を真っ赤に熱して叩いていく”鍛造(たんぞう)”という作業になるんです。それを基軸として、鉄を切断していく技術も使います。溶断と言って、バーナーを使って火で切っていくのですが、このパネルにある作品は、その断面の表情になります。
鉄を熱して真っ赤に溶けてきたところに、高密度の圧縮酸素を瞬時に出すことで、吹き飛ぶように鉄が切れるんですね。機械的に切断するというよりは、火と空気で切っているというような状態です。その表情が、わりと自然現象に近いような印象になるのかなと思っているんです。鉄を叩く作業も、ただ人為的に叩くというより、自然現象の一つみたいな感覚が好きなので、そのニュアンスをどうしたら引き出せるのかなというような感覚で行っています。鉄は叩くと伸びるんですね。そのスッと伸びていく感覚が、自然現象に近づいていくような感じがしていて。そこが薄れてしまうと、良さが無くなってしまう気がするんです。

上野

材料の鉄は丸棒なんですか?

田中

ほとんどは丸棒で、それを平らにしていきます。フラットバーの場合は、まず両端を溶断で切った後に、叩いて平らに伸ばしていきます。とにかく全部叩いていますね。叩く道具の種類によっても変わります。手道具も使うんですけれど、鍛造機を2台持っていて、その鍛造機でやっていく荒々らしさですとか、手道具の細かさを追加したり、いろいろですね。全部一人で作業していて、一度の作業範囲はわずか数十センチくらいなので、同じことをコツコツと少しずつやっています。螺旋状の形状は、最後に捻っています。

上野

緻密さとか鍛錬さとか、そういうものが尋常ではないですね。パネルの作品は、エッジが立っていて、空間の空気感も他とは違います。

田中

パネルの表現に強いものがあって、空間に対してはそれで成り立っていると思います。なので、テーブルには逆に強いものを自分は求めていないなというか、テーブルはやりすぎにならないようにという感じがありました。

上野

テーブル本体も田中さんにつくっていただいたものです。どういうテーブルにするかというアイデアを重ねていって、田中さんのオブジェを設置したテーブルとなりました。11台のテーブルそれぞれに異なる11点の作品です。

田中

まずテーブル本体について、テーブルの要素としていい状態をつくりたいと思ったんです。脚の細さとか構成とか、ディテールを調整しています。そして座って心地よく話しているときというのはパーソナルな空間になるので、ふと目を向けるとそこに何かあるというようなのがいいなと思ったんです。最初は花器でもいいかなと思っていて、そこに花がしつらえられているみたいなイメージでした。ニュアンスは変わらないんですけれど、造形として思いついたのが、細い金属をクルクル巻いた11点の作品です。

上野

このオブジェは鉄ではなくステンレスですね。

田中

ステンレスの4~5ミリくらいの丸棒で、それを2ミリくらいになるまで叩いています。平たいものなら手で打てるんですけれど、ステンレスはとても固い素材で、結構な重労働で非効率になってしまうので、プレス機と鍛造機を使っています。でも、手の延長という感覚で、手で打っていくのと変わらない鎚目になっていきます。それと色合いも、鉄のような色にしたくなかったんですね。ステンレスは一回火を入れてしまうと黒くなってしまいます。この色味にするためには、生の状態で、いわゆる冷間で叩くしかないんです。ステンレスはもとは艶やかな銀色なんですけれど、その後に火を入れることによって炎色というか、三原色みたいな感じで出てくるんですね。その中でこれは真鍮色のような感じに留めています。一度だけ、色上げのために焼くという感じで、酸化皮膜なんです。

上野

最初に造形を考えておいてそこに合わせていくのですか? それとも手を動かしながらつくり進んだのでしょうか。

田中

これに関してはやりながらでしたね。平面で想定して構成を描いてみたんですけれど、実際に立体に置き換えてみると、まったく別の空気になってしまって。それなら最初から鉛筆で線を描くように、気持ちで描いていくような感覚でやってみたんです。線を1回描くと、そこから自然とこっちに行きたいという感じが出てくるので、最初にまず線を描くようにつくっていったという感じです。

鉄という素材の自然観
上野

田中さんの美意識の原点と言いますか、どういうものに触発されてきたのでしょうか。

田中

外側の物を見てとか、いろんな物に詳しいとかっていうことは全然ないんです。鉄だけでなく、自然素材は全般的に好きですね。自分はたまたま仕事として鉄を選んだという感じです。父が伝統工芸の世界で竹細工をしていて3代目です。物づくりの家に生まれたんですけれど、三男なのでただ見ていただけで、むしろそんなに興味もなくて、自分が物づくりをするとは思ってなかったですから。

上野

どこに物づくりのきっかけがあったのでしょうか。

田中

高校進学の時に、単純に普通校に行ってただなんとなく勉強するのは嫌で、親の勧めで都立工芸高校に進学しました。見学に行ったときに見た、手で物をつくるような学科に入ったら、たまたま金属工芸科だったんです。たぶんその頃までは物づくりとか意識したことはなくて、単純に面白そうだなと思ったのがきっかけでした。卒業後は父の勧めで、伝統工芸の井尾建二さんが主宰している青山の金工教室に1年間通いました。彫金だけでなく、鍛金で器をつくるような技術も学ばせていただいたり、密度の高いことを経験させてもらいました。その後、造形家・松岡信夫さんに弟子入りして、5年半学びました。その間に高岡短期大学(現・富山大学)でも金属工芸を学んでいます。本当は鍛金がやりたかったんですけれど、高岡は鋳物の町なので、鋳物の授業が多かったですね。

上野

ご師匠の作品はどういうところに憧れたんですか?

田中

最初に師匠の作品を見たのは高校生のときで、空間に鉄の手摺りがあったり自在鉤があったり暖炉があったり。自然素材の空間の中で、そういうものが生かされている。その印象がすごく強かったんですね。いまの感覚とはちょっと違うんですけれど、私は高校で金工を学んでいたので、同じ金属でもこういう感覚があるんだなと惹かれました。
私の原点がそこにあったかどうかはよくわからないですけれど、単純に物づくりが楽しいということよりも、なぜ人間は生きているんだろうみたいなことを考えてしまうタイプで。かといって哲学者のようにたくさんの文献を読んで深く知識を掘り下げるタイプでもないんです。ただ、行為についてずっと考えてしまう性質があって。それは家族との暮らしの中でも同じで、生きる行為があって、仕事があって、鉄があって、そういうのを全部考えてしまう。考えて行くのが好きなんですよね、きっと。考えないと、逆に不安になってしまうのかもしれません。

上野

鉄の魅力は、どのようなところですか?

田中

パネルの作品からも垣間見えると思うんですけれど、鉄は行為をすればするほど、有機的になっていく感じがあります。アール・ヌーヴォーはさらにこれを具象化していって、完全なる植物をつくろうとしていますが、その手前にこういうものがあるという感じです。ふだん目にする鉄と言えば、大半が工業製品。現代の社会では構造物としてしか捉えられていないような気がします。でも、手の行為を通して、有機性を出せますし、私は自然物だなと思っていて。自分の考えている自然物の状態が、どうしたら引き出せるかなというのが、やっぱり根本にはあります。

上野

自然性とか有機性を感じているのですね。

田中

そこが現代の空間に持ってくると、強く出過ぎてしまうんです。なるべく制御しながらつくることで、今の暮らしに取り入れてもらえたらなと思います。鉄には細くても自立した形を保っていられるという金属ならではのよさがありますし。細さとか繊細さを引き出すことができつつ、行為に対してはすごく素直な素材で、嘘がなくて全部出てしまうので、やってやろうみたいな感じで向かうとそれも全部出てきてしまったり、意図的になってしまったりします。でも、そこを丁寧に見ていくことで、自然なんだなという感覚が出てくるような気がするんです。私は何かを構成していくときに、どうしても削いでいってしまうんですけれど、削いでいくことで要素だけが残るというか、その要素そのものが自然なものという感覚が自分の中にあるんですね。

上野

鉄の要素を丹念に読み解いて、洗練させているのですね。

田中

例えば、ここのテーブルもオブジェも同じような気持ちでつくっています。テーブルに使用している鉄は、ほとんど工業素材そのまま。素材の状態として好きで、美しいなと思っているので、それが引き出されるようなあり方を考えています。構造物もある一定のところまでいくと、何かが変わるような気がするんです。以前は工業製品なんてという考え方が自分の中にあったんですけれど、今はむしろ必然的に成り立つ場所になると思っています。車のボディとかもそうですけれど、それがあるからゆえの形になっていくというか。それが自然なのかなとも思ったりします。

美しくて心地よい空間
上野

このラウンジは「美術館みたいですね」とよく言われます。今日、改めて思いましたが、田中さんの作品自体の素晴らしさを、照明が引き立たせている感じもありますね。本当はここに照明を設置したいという場所にダクトがあったりして、照明の山下さんはいろいろと苦労しながら調整してくださいました。山下さんの表現は、これ見よがしなところがなくて、少し引き算したようなさりげない表現を好まれるので、そうした感性と田中さんの持ち味がフィットした感じもありますね。

田中

いろんな角度からの光の当て方を検証してくださいました。光源そのものは見えないことも大事にされていました。

上野

新藤さんも久しぶりに制約のほとんどない中で、自分のやりたい空間づくりに取り組めたとおっしゃっていました。螺旋階段も美しい手摺りで、足元に照明まで付いています。ラウンジは石の蔵における3回目のリノベーションでしたが、私も経験を重ねてきて、新藤さんに田中さんを紹介したのも自分だったこともあって、この空間は従来の空間以上に自分も関わることができました。

田中

ラウンジには自分のつくったものが多いので、どうしても自分自身にダメ出しをしてしまうというか(苦笑)。お客さんのように空間を味わえる心境にはなかなかなれないものですが。でも、親を連れて来たときに、ふとそういう感覚を得られるときがあって。すごく不思議な空間というか、光の印象とか、空間の印象とか、豊かな感じはすごくしました。関わらせてもらって、有り難かったなという気持ちになりました。歴史や時代を感じられる、こういう空気の場所に、自分の作品が入るというのは、自分の中では新鮮で、そこも嬉しかったです。

上野

私にとって田中さんの作品は、見ていて心地いいんです。心地いいというのは、人それぞれでしょうし、抽象美もさまざまありますけれど、私にとっては心地いい抽象美なんですね。いつでも眺めていたいものです。なので、私はただ眺めているだけで幸せで、実は田中さんの制作視点というものについてはあまり考えたことがなかったんです。でも、先日、ある造形作家さんがこちらへいらした時に、その方も鉄を扱う方で、田中さんの作品を見て、これはすごいと。この作品づくりにかけたエネルギーは真似できないとおっしゃって。そこで初めて、私はエネルギーのかけ方というものを見るようになったんですね。美意識というものと同時に、それを手で丹念につくり上げていく根気強さとか。田中さんは鉄は素直な素材だと、やった事がきちっと軌跡として形になっていくとおっしゃってましたね。素材として伸びていくとも。鉄は生き物っていう感じですよね。

田中

ここにある作品を通して、そうういった鉄の要素を感じていただけたらなと思います。展覧会は少なくて、作品を見ていただける機会もなかなかないので。

上野

ラウンジにいると、田中さんの美意識を体験しているという実感があります。このボリュームを空間でという機会はなかなかないと思います。お客様にもじっくりと作品を眺めていただいて、田中さんの世界観を味わっていただけたら嬉しいです。

photo by Keisuke Osumi