「石の蔵」は2001年の開店を含め、3回のリノベーション(コンバージョン)によって、蔵全体の再生を行ってきました。前回のジャーナルでは、その再生に寄せる上野代表の想いをお伝えしました。今回は、この再生プロジェクトに当初から取り組まれてきた、インテリアデザイナー・新藤力さんと照明デザイナー・山下裕子さんを交えての鼎談です。
上野
新藤さんは「バナキュラー(vernacular)」という言葉を、キーワードの一つにされています。バナキュラーとは、土着のもの、風土的なものに使われる言葉ですね。
新藤
まさにここは地元産の大谷石を使って建てられ、倉庫として使用されてきたバナキュラー建築です。そうした再生は、できるだけ地元の継続的なコミュニティに引き継いでいけるものにしていこうというのが基本的な考えです。既存の建築物を有効活用して、新たな価値をつくっていく再生を「リノベーション」「コンバージョン」と呼びますが、リノベーションは用途を変えずに価値を再生することで、コンバージョンは用途を変えて価値を動的に再生することを言います。
上野
なるほど。リノベーションの方が周知されていますので、そのように言っておりますが、意味的には石の蔵はコンバージョンになるのですね。
新藤
私の仕事の多くは、どこかのテナントビルの中に店をつくるというものですけれど、そうではない、地域に根差した建築物の再生は好きなんです。ここには経過した時間、蔵自体が体験してきた空間がありますから。この時間・空間の記憶をスクラップせずに、残しながら代謝させていくのは魅力的なこと。日本のもののつくり方というのは、スクラップアンドビルド、壊してつくるという開発手法が長いこと行われてきました。しかし、これからは文化が成熟していくためにも、こうした既存建築物を再生しながら地域と共に成熟して行くということが必要なのかなと思います。
上野
一過性ではない建築、長い時間を紡いでいく建築というのは、極めて真っ当なことだと私も思います。この蔵の再生に当たって、最初に考えられたこと、念頭に置かれたのは、どのようなことでしょうか?
新藤
最初に訪れた時、たとえば守衛室とか、車寄せの屋根とか、事務室とか、倉庫として使われていた時のものがありました。長年のさまざまな事情で建築が代謝していく中で、そういう付加物がどんどん付いていたんですね。それらをまず原型に戻そうと考えました。
この蔵からいちばん感じたのは、数十年前の手掘りの大谷石のテクスチャーであり、手掘りの時代の大谷石がここに存在しているんだ、ということ。そこはできるだけ残して見せていきたいと思いました。手掘りの大谷石が内包している時間というのは素晴らしいものです。その建築が体験した時間、体験してきた空間を、できるだけ大事にしながら自分はつくっていきたいと思いました。
上野
当初、屋内の壁の大部分は簀子のような板で覆われていました。それを剥がしていくと、手掘りの大谷石が全面に現れて、本来の姿が見えてきました。
新藤
それをいまいちばん味わっていただけるのは、レストランの客席です。とくに奥の方は、山下さんの照明によって、丸鋸で平らに切った大谷石には見られない、手掘りならではのテクスチャーというものが浮かび上がっています。
上野
ここは大谷石の蔵としては宇都宮では最大規模で、広さは140坪あります。
新藤
その大きさもできるだけ残していこうと考えました。保健所からは天井を張るようにとかいろいろ言われますけれど、こういう小屋組みは残したいですし、見ていただきたいので、できるだけそのままにしています。当初は一部に2階もありましたけれど、とにかく原型をまず取り戻して、そこから始めたんです。
上野
原型に戻しつつ、年月や風土に育まれた部分は残していますよね。
新藤
外観はなるべく手を加えないで、外壁に絡まった蔦や蔵窓はそのままです。地域の中で蔵が過ごしてきた数十年を大切にしたいなという思いがあります。
何を残して何を変えて行くか、変わるものと変わらないものの共生と共振を図ること、そこの判断がいちばん難しいところです。この蔵でいえば、手掘りの大谷石のテクスチャー、蔵の大きさや小屋組みなどは、本来の姿を見せていきたいところ。ただ耐震のために新たに柱を加えたので、その柱をわからなくするために光の筒をつくって巻いています。
上野
山下さんはかねてより新藤さんとはさまざまなお仕事をされていますね。私は照明の役割、力というものを、最初の頃はまだよく認識していませんでした。新藤さんからぜひこのプロジェクトに山下さんの照明の力を、というお話で関わっていただくことができました。最初に山下さんに来ていただいた時、「ここは小樽にはしたくないですね」とおっしゃったことをよく覚えています。当時の私はその真意すらわからなくて、それは何を意図しているのだろうかと(笑)。山下さんはここをどのようにイメージされたのですか?
山下
決して、小樽が嫌いなわけではないですよ。小樽には運河があって、建物の中には人の行き交う商業施設があって、小樽はあの光でイメージが出来上がっていると思います。石の蔵の場合も、施設として人に集まってきてほしい場所であり、遠くからもわかる存在でありたいものの、新規に生まれ変わりました!というアピールよりも、昔からそこに普通に存在していたとか、気が付いたらそこにあったみたいな。そしてこれからもずっとあり続けるような、そういう地域に溶け込む存在であってほしいなと思ったのです。
上野
照明によってわかりやすく目立つ存在にする必要はないということですね。
山下
特徴のあるところをライトアップするという手法は、外に向かって、ここはこういう場所ですよというのを見た人にわかりやすく、理解されやすくする手段です。でも、当時私はこの蔵はそうではなくて、暮らしている人たちの生活のシーンに取り込まれるような存在であってほしいなと考えました。今までもこれからもずっと宇都宮のこの場所にあるという存在であってほしいなと思ったのです。それを明かりとしてはどういうことかと言うと、光を当てる当てないとか、何ワットでどうするとかではなくて、「どう見えているか」ということになるんですね。
上野
光も建築も、その在り方が大事なのですね。
山下
新藤さんのおっしゃった「前のままの建築を代謝させていく」「原型に戻す」というのは、本当にそうだなと思います。壊してつくり変えるのではなく、そこにあり続けるための新陳代謝を繰り返していく。そのために、見えてくるものというのが存在しなければいけなくて。この建物が本来持っている特徴的なディティールである手掘りの大谷石も、何もしなければ言わなければ、なんかガリガリしているな、くらいの受け取り方になります。けれども、ライトアップすることによって、一つ一つ掘って、積み上げて、というシーンが感じられるようになります。そのテクスチャーに気付いたり、そのダイナミックな空間に包まれてお食事するのは何か豊かな感じがしたり。また、大谷石の特性は石と言っても冷ややかな感じはなくて、温かみがあります。そういうものが見え方として表現されるといいなと。そんなことを思いながら、レストランの照明は考えました。
新藤
山下さんのデザインの考え方は明確です。照明デザイナーもいろいろな方がいらして、光で形をつくるという人もいます。形がパキッパキッと見える明かりというか。山下さんはそうではなくて、当てないことも光だし、当てることも光だし。そういうこと全部含めていろいろ考えられているんだけれど、その意図が消えるというか、意図が見えない、形に見えないようにできるのが山下さんの照明だと思うんです。それは私も同じで、意図はするんだけれど、その意図が消えるようにします。なぜかというと、意図がわかったり、形が見えて、その理由がわかってしまうと、人はつまらなく感じてしまうからです。
山下
納得されてしまうんですね。ああ、そうだったんだって。そこからさらに味わっていくとか、そういうことに発展していきにくい。
新藤
だから、私たちの仕事は、どう感じてもらうかなんですね。意図が見えないから、いつ訪れても新鮮な感覚があると思いますし、それで長続きしていけるのだろうと。
上野
これ見よがしにしない、やり過ぎないとか、実はしているけれどその意図をあまり感じさせないとか、そこはお二人にも、竣工時の写真を撮ってくださった白鳥美雄さんにも共通するところですよね。至極真っ当で正直で、そこに力があるというんでしょうか。写真でも他の方が撮られると、ちょっとアクロバティックというか、何か強調されて不自然な感じがして。ですから、そのあたりのバランスの絶妙さみたいなものが、ここが長続きしていけたり、飽きずにいてもらえたりする要因なのかなという気はしています。
新藤
白鳥さんの写真は正直ですから。失敗したなと思う所もその通り、失敗したように撮るんですよね(笑)。建築写真家によっては、上野さんがおっしゃったように、ちょっとアクロバティックに、人の目線はここじゃないよね、というようなところから撮る。あるいは山下さんが光をつくられたところに、いろいろ光を足して捉えたりすることもある。白鳥さんはそういうことせずに、真っ当に、真っ正直に捉えます。その正直さというのが、こうしたリノベーション、コンバージョンには大事なのだと思います。
山下
これからずっと地域の人たちに、親子何代にも渡って、長く通ってもらえる場所になるといいなという気持ちはすごくありますね。
新藤
こういうプロジェクトというのは、突然変異してはダメなのだと思います。何か、昔からこんな感じだったよね、と思ってもらえるくらいの変わり方、新陳代謝がよくて、それがデザインのいちばんの醍醐味であり、いちばん知性のいるところです。ここは地域のコミュニティの中に一体化していますし、倉庫からレストランにコンバージョンしても、60年前からこうだった、というようなことにしていきたい。こうしたバナキュラー建築は、地域のランドマークとして長く続いてほしいです。
山下
照明デザインは、見え方をデザインする立場でありながら、関わりとしては設備系のことになります。耐震、省エネルギーなどいろいろありますが、そのままでは実施出来ないこともあって、設備的には建物を壊してつくりなおした方が簡単ですし、実はその方が費用もかからなかったりします。壊さずに継続させて存在させていくというのは、プロ的ノウハウや、空間への想いを実施するためのデザインエネルギーがかなり必要です。建築物を地域の一つの景色として、ずっと残しながら新陳代謝していく。それはすごいことですし、ランドマークというのは、目立つシンボルだけがランドマークではない。一つ何かここにある、というのが皆さんの頭の中の宇都宮の地図にある。そこがとても大事なことかなと思います。
新藤
今から手掘りの大谷石で蔵をつくるなんてできないですからね。なるべく建築は残ってほしいし、パティーナ(Patina)って言いましたっけ、経年変化の味わいを。そういう年を取ってもいい顔になるものを大事につくっていきたいですね。今は年を取れないものが多いですから。