堀木エリ子さん (和紙作家) × 上野仁史 (「石の蔵」代表)

象徴的な和紙の光柱
上野

石の蔵の空間において、シンボリックな存在である「光の柱」。かれこれ21年前に施工でしたが、その1年前くらいに、インテリアデザイナーの新藤力さんから堀木さんに作品の依頼があったと思います。そのとき、どのようなことを構想されたのでしょうか?

堀木

場の力ってありますよね。その場のもつ力を、どう目に見える形にしていくかということ、それが始まりでした。石の蔵さんは、名前の通り大谷石で造られた蔵。最初に写真で拝見したとき、その場の力というのが、何か力強いエネルギーが内側から涌き上がっている、という感じがしたんですね。そこからモチーフはすぐ決まり、昔から日本人が伝統的に使っている文様で「宇宙の良い兆しが涌き上がり、立ち昇る」という意味を持つ「立涌(たてわく)柄」としました。石の蔵さんでお食事をする方々が、会話やさまざまな出会いによって、良い兆しがそこから派生していくようにと願って、筒状の立涌柄とし、良い兆しを立ち上げるというイメージを表現しようと思いました。

写真:白鳥美雄/2001年竣工当時
上野

それまでにも、和紙を筒状に施工されたことはあったのですか?

堀木

「光柱」というのは、実は石の蔵さんが初めてだったんです。巨大な和紙を、筒状に吊り下げていますけれど、普通に柱に巻くだけだと、断面が和紙ですからフニャフニャしてしまうんですね。楕円になったりして、ちょっと歪になってしまうのを、どうやって真円に保つか。初めてなのでかなり検討したのを覚えています。

上野

その後、光の円柱を数多く手がけられていますけれど、石の蔵が最初だったのですね。

堀木

そうです。その後もいろいろと施工しましたけれど、石の蔵さんが最初の挑戦でした。検討を重ねていく中で、アクリルシートを内蔵して、大判の和紙を円筒に吊り下げるということに行き着きました。和紙は、切ったり折ったり貼ったり曲げたり、何でも出来る素材なので、逆にちょっと気を抜くと工作になってしまうんです。私たちは「工作」ではなくて「創作」をしないといけない。例えば断面がちょっと歪になるとか、糊をベタベタ使って何かをするとかということになると、結局「工作」になってしまう。そこを「創作」に高めて行くためにどうするかというのは、真円を一つつくるのでも大変で、意外と見えないところで工夫が必要なんですね。

上野

なるほど、工作ではなく創作…。床から梁まで円柱があることによって、空間の高さも強調されたように感じます。

写真:白鳥美雄/2001年竣工当時
堀木

蔵の吹抜け感というか、あの高さは魅力の一つですから。そのために和紙も床から梁までの一枚漉きにしています。見る人には和紙を貼り合わせでできていると思われがちですけれど、5.5×1.4メートルの大きな一枚に漉き上げていることは、創作においてとても大事なところです。

上野

耐震補強のための柱ですが、それを機能のみならず、何かに転化しようと新藤さんは思われて、堀木さんに依頼されたのかなと思います。

堀木

柱は、普通は空間にとってノイズとされることが多いですよね。そのノイズを、逆に魅力に変えていく。私たちの和紙のつくり方は、常にそうなんです。例えば、グルッと巻いたときに、継ぎ目が発生する。その継ぎ目は1本の線が必ず入るわけですけれども、継ぎ目を継ぎ目と見せずにデザインにしていく。縦の方向に楮の繊維を漉き込んで、その楮1本分で継げば継ぎ目は見えなくなり、そこでノイズは消えてデザインの一部になります。だから、ノイズをいかに効果的に変えるかとか、ノイズをいかに機能や用途に変えていくかというのが、私の和紙作品に対する着手の仕方で、デザインの発端なんです。そういう意味では、まず継ぎ目を見せないために縦方向に線を入れる、そして良い兆しが涌き上がるように立涌柄を入れる、というような展開は、デザインの発想としてはとてもシンプルです。

上野

光の柱は、石の蔵のシンボル、まさしく支柱という感じです。幻想的な明かりで、効果としても絶大なんですが、内に隠された柱というものの用を美に転化されたということですね。
当初は和紙を照らす内側の光が、柱が長いので上まで届きにくいということで、照明デザイナーの山下裕子さんもかなり試行錯誤されました。最近、柱の内部の光源をLEDに変えたんですよ。

堀木

ここ近年は、LEDの発達が目覚ましいです。LEDがどんどん開発されると、和紙の可能性も広がるんです。熱を持たないとか、長く光が伸びるとか、調光も電球色から白色まで簡単にリモコンで変えられるようになったり。そういうことが可能になってくると、今までは壁と和紙の間を30センチ開けなければいけなかったものが、10センチでいいとか。とても小さなライトオブジェの中にも電球を仕込めるなど、さまざまなことで可能性が広がっていきます。最先端の技術と伝統的な和紙というものを、どう組み合わせていくか、いろんな業界、いろんな異素材とコラボレーションをしていくこともすごく大事です。私たちは大きな和紙の開発も、立体的に漉くという和紙の開発もそうですけれど、要望をいただいてその要望にどう応えようかなというところで、初めて着手ができるんですね。場を与えていただくことで、新しい開発や挑戦ができるわけです。私が自分から、こんなものがあったらいいだろうな、こんなものをつくったらビックリするだろうなと思ってつくったものは一つもないんです。石の蔵さんでも、新藤さんからご依頼をいただいて、その要望の中で巨大な和紙が生まれ、そして円筒形に光を床から天井まで上げる、ということが成されてきています。一つ一つそういう挑戦ができる場を与えていただいていることに、とても感謝しています。

上野

LEDの最先端な技術とともに可能性を広げていく一方で、和紙には儚さも感じます。石とか木とかの素材とはまた違う儚さみたいなもの、気持ちにすり寄ってくるものがあります。素材が持つ表情のやわらかさとか儚さとかは、和紙ならではの魅力の一つだと思います。それでいて和紙は丈夫で耐久性もあるという機能性があって。

堀木

最近ではマンションなどでも快適性を求められるじゃないですか。快適ということからすると、例えばボタン一つで適温のお湯が出るとか、セキュリティが整っているとか、空調の温度がいつも保たれているとか、たぶん100人いれば100人ともが快適ということは感じられると思うんですね。でも、私たちが和紙で表現することというのは、快適さとはちょっと違う「居心地の良さ」だと思うんです。その居心地の良さ、何を居心地が良いと感じるかというのは、100人いたら100人とも違うんです。同じ一人の人間でも20代で居心地がいいなと思うことは、30代、40代、50代と、どんどん変化していくと思うんです。私自身もそうです。でも、この和紙という素材は、なぜか一人一人の居心地の良さにちゃんと寄り添ってくれる。本来なら100人いたら100人とも違うはずなのに、限りなく多い人数が、居心地がいいなと感じてくれる素材なのではないでしょうか。年齢の経過に応じて、一人一人に寄り添ってくれるような素材だと思っています。石の蔵さんでもこうして20年間も使っていただいていますけれど、そういう意味では竣工当時の写真を見ても、あまり古さを感じないですし、たぶん20年前と同じような依頼を今されたとしても、私がつくるものは昔も今もほぼ同じものができたのではないかと思います。思い入れが深くて、ホッとする、自分自身でもとてもいい仕事ができたと思える現場の一つです。

写真:白鳥美雄/2001年竣工当時
上野

ありがとうございます。この光の柱があるとないとでは全く違う風景となってしまうというものですから。

堀木

この柱が光っている状態と光ってない状態では全く違いますしね。例えばワーロンなどで同じように円筒につくってもまた違うでしょうし。何よりも私たちはよく、和紙は何年保つんですか?って聞かれるんです。いやいや、それは長年ずっと保ってますよと言うんですけれど、本当ですか?って言われたときに、「石の蔵さんを見に行ってください、20年確実に保ってますよ」と。そういう一つ一つの歴史を、一緒に歩んでいただいているなという気がしています。

未来へつなぐ、伝統と革新
上野

施工当時、堀木さんは30代後半くらいでいらして、確かその年に、堀木エリ子アンドアソシエイツを設立されたんですよね。

堀木

そうです。激動の年で…。私が39から40歳になるところでしたから、ちょうど今から20年前。独立して会社を設立したばかりで、健康診断に行ってみたところ癌が見つかって…。すぐにでも手術しないといけないのに病室が空いていなくて、仕事をどうしていくかということを考えつつ、病院の手配などをしながら向かった現場だったので、個人的にもよく覚えていて、とても思い出があります。

上野

そのことを堀木さんは内に留めていらして、私も後日談として知りました。そんなご体調の中にも関わらず、現場はまだ施工中で扉も付いていなくて。真冬の空調もない中で施工していただきました。心の中ではいろんな葛藤がおありだったのでは…。

堀木

独立のこと、癌のこと、いろんなことが重なって、すごく闘っていた時期でした。当時も仕事を途中で辞めるという発想はなかったので、何かの場合はどうするかという遺言状を書いたりもしました。そういうことの闘いの中から、寿命を全うする限り、自分がどう死ぬかなんてわからない、つまり死に様は選べないということに気がついたんですね。でも、生き様だけは選べるということにも気がついて。毎日を何となく過ごすのではなくて、一つ一つ、ちゃんと選んで生きていこうと決心できた。死と向き合うことで、生きることが見えてきた時期でもあるんです。

上野

堀木さんは精神的な巨人のように私には見えているんですが、そういう意味では変遷というか、思い切ったというか、そういう時期、時期があったわけですね。最初からそうではなくて。

堀木

もちろんそうです。あの当時が、いちばん私が強くなれた、考え方を持てたときだと思うんです。生き様を示していけると言っても、じゃあ、生き様って何なのかと考えていくと、やはり私の場合は和紙を提供する仕事をしていますから、和紙で人の役に立つことが、結局生き様につながる。どういう作品をつくったら人の役に立つのか。ものづくりの基本ですけれど、作品の中に自然に対する畏敬の念や命に対する祈りの気持ちが、しっかりそこに表現されていて、それが人に伝わって、みんながそれを見て幸せになってくれるというのがいちばん大切なのです。

上野

当時は、それは凜とした仕事ぶりでいらして、気迫溢れるというか、緊張感の漂う現場でしたね(笑)

堀木

当時の私たちの現場は、端から見ていて近寄れなかったとよく言われました。結構、怖かったんですね(笑)。まだ、和紙は燃えるし、汚れるし、破れるし、変色するし、建築なんかに使えないと思われている時代でしたから。その中で、和紙はそのようなことを克服できるし、現代の役に立てる素材だということを示していかないといけない時期だったので。ちょっとした気の緩みで、工作になってしまう、というところをすごく意識していたんですね。今はかなり手法とか技法を確立できてきたので、そこまでピリピリしなくても、ある程度経験とともにできるようになってきました。20年経ってだいぶん丸くなりましたね(笑)。

上野

光の柱は、時折状態を見に来ていただいて、お陰様でかなり状態は保たれています。こういう円筒の立て方で、高さのあるものは初めてということでしたけれど、今振り返ってみてどんな作品でしょうか?

堀木

今見てもそんなに古い感じはしないですね。私たちのものづくりの根底と言いますか、基本的な部分を表現させていただけたかなと思っています。ここからまたいろいろな技法が生まれて、光柱もここからたくさんのバリエーションで表現させていただくようになって、本当に大きなステップとなった現場です。

上野

堀木さんは覚悟決めてられるなと。自分の人生に何を全うされるのか、確固たる信念というものを感じます。

堀木

覚悟とか決心ってとても大事だと思うので、私はそれができる仕事と出会えてよかったです。和紙が好きだったわけでも、和紙の魅力に取り憑かれたわけでもなくて、たまたまご縁から伝統産業が廃れていく様子に接して、職人さんたちの真摯な姿を見て、これを何とかしなきゃいけないという使命感から始まっているので。だから、和紙のどういうところに魅力を感じてこの仕事に入られたのですか?とか聞かれることが多いんですけれど、全然そういうことではなくて、誰かが何とかしなくてはいけないという思いだけでした。本当によく続けていると思いますけれど。今も全然昔と変わらないですね、思いも目指すところも。

上野

覚悟を決めるって、人は誰しも時々思ったりすると思うんですが、容易に緩んだりしますよね。それを永続していくモチベーションというのは、何とかしなくちゃという使命感の強さですか?

堀木

使命感がいちばんですね。講演会とかをお受けすることもあって、よくお話させていただくんですけれど、いつも話をする内容は一緒で。どんな話かと言うと、人生の中で大事なものは、プライベートでも仕事でも一緒なんですけれど、「ご縁」と「腹の底から湧き上がるパッション」だと言ってるんです。ご縁は日々あるんですけれど、自分自身に体の中から湧き上がる情熱がなければ、結局そのご縁は広がったり深まったりしないと思うんですよ。でも、パッションは一旦持つことができても、うまくいかなかったり人から批判を受けたりすると、簡単に萎えたり折れたりするんですよね。

上野

堀木さんでもそういうときありますか?

堀木

もちろんです。萎えたり折れたりしたときに、どうやってもう一回そのパッションを立ち上げるかということが、人生の勝負、闘いなわけです。そのときにどういう考え方を持つかというところで、私はいつも原点に戻って考えるようにしていて、深く悩んで、早く考え方を見つけるので、立ち上がりが早いんです。例えば、私は大学でアートを勉強していないし、学校でデザインを勉強したこともない。職人さんのところで修業したわけでもない中で、この仕事を始めています。当初は強くパッションを立ち上げて、職人さんのために和紙の技術を未来につなぐためにと思ってやりましたけれど、うまくいかなかったり、売れなかったりした中で、絶対うまくいかないからやめておけとみんなに反対されました。その理由というのが、専門的な勉強をしていないからできないんだと。その時点ですごく落ち込むわけです。ただよく考えてみると、土偶とか埴輪とか、あの素晴らしい土器をつくった人たちは特別な勉強をしたわけではない、普通の一般の人たちなわけです。そういうことを考えたら、実は人間みなクリエーターだというところに落ち着くわけですね。私が専門的な勉強をしてないからできないなんて、それは言い訳にしか過ぎないという考え方を持って、またパッションを立ち上げる。そういう単純なことですけれど、前へ進むための考え方を持つ。その繰り返しです。

上野

人って最初は誰もが何者でもないじゃないですか。何か志を持って、日々取り組むことによって、何者かになっていくのであって…。堀木さんにとってのプロフェッショナリズムというのはどんなことでしょう?

堀木

「さすが」を求めるということです。私たちは「さすが」という言葉を生み出したいんです。これは、期待通りか、期待以上でないと絶対出てこない言葉ですよね。お客様さまから「さすがですね、堀木さん」と言ってもらえる現場を、どう残せるかということだと思うので。その言葉をもらわないと、仕事をしたとは言えないです。

上野

さすがというのは、何か人々の心を揺さぶるというか、感動をもたらしたり、更には生きててよかったと思えるような瞬間を及ぼしたりしますよね。

堀木

実際に私たちが和紙を漉いていても、和紙という素材はさすがだなと思うことはたくさんあります。それは想像以上のものが生み出されるということです。和紙でつくっているその行為は、私が100%デザイン通りのものをつくろうとするとうまくいかない。7割くらいは人の作為ですけれども、3割くらいは自然の偶然性を活かしてどうつくるか、というところから、私たちが考えもしない、さすがな和紙の質感が生まれるんですね。それにはバランスが重要で、ご発注いただく側とつくる側のバランスもありますし、例えば石の蔵さんを訪れるお客様と場の持つ力の関係性もあります。作品そのものに対しての表現ではなくて、作品から放たれる空気感や気配が、この蔵の中でどう作用するのかということがとても大事になります。その中には、もちろん新藤さんの全体的なプロデュースもありますし、富田さんの家具の力もありますし、そういったさまざまなことのバランスが、さすがを生み出していく。そうして最終的に来てくれたお客様に感動してもらうということですね。

写真:白鳥美雄/2001年竣工当時
上野

石の蔵では、さまざまなクリエーターの方に関わっていただいたのですが、優れたクリエーターの方々というのは、常識的でなく、既成概念を超えてゆくというか。エネルギーが突出しており、ややもすると表現欲が過剰とも感じることがありました。しかしそれらが結集すると、従来にない何か高みに至るという感じがしました。とりわけ堀木さんの作品は、空間におけるシンボル的な、清らかな、凜とした空気を放っていただいている気がしています。先ほどのお話では、3割は自然の偶然性を活かすということでしたが、それを制御しようと思われたことはあるのですか?

堀木

制御をしようとした結果、それはつまらないなということを発見したわけです。どうしても最初のうちは、100%自分の思い通りにつくりたいという欲がありますから、力づくで作業をするんですけれど、美しい作品にはなりません。やっぱり感動する作品というのは、100%の作為ではないですよね。逆に自然の力が100%近くなってしまうと、ちょっとおどろおどろしい、気持ちが悪いような和紙にしかならないんです。だから、デザインとか目標とする表現ということがあって、その中で偶然性をどう引き出すかということが大切ですね。

上野

確かに、自然も自然のままだけですと、それほど美しいと感じなかったりもします。里山の風景を見ても、入れている作為と自然とのバランスみたいなものがありますよね。でも、3割が想定以上に良くなるときもあれば、想定より悪くなるときもありませんか?

堀木

もちろん、失敗も起こります。それでも、感動的な思ってもみない表情が生まれるというのは、はかりしれない感動につながっていくものなので。その3割をどう生み出すかということが大事です。私たちには、越前に行って職人さんと一緒につくる手法と、京都の工房で私たちだけでつくる手法と二つあるんです。職人さんと一緒につくる手法としては、職人さん5人、私たちのスタッフ5人、合わせて10人がかりでつくります。職人さん側には、どんなデザインにしたいかという説明は一切しません。私たちのスタッフは当然、最終的にどんなデザインにしたいかわかっていますけれど、現場の職人さんたちに知らせていないので、職人さんたちには意図がない。その中でものをつくっていくから、偶然性が起こってくるんです。わざとそうしています。

上野

職人さんに説明されていないのですか。

堀木

職人さんに何か新しいことを言っても「できへん、できへん、そんなものできへん」って3回くらい言われるんです。できへんってすぐ仰るので、それでも最初は、無理にでもとお願いしていたんですけれど。本当にできないのかなって考えて、自分でできないなりにもやってみたら、できることの方が多い。ということの繰り返しから、新しい手法は私たちスタッフが行なって、職人さんには漉くという古来、受け継がれた作業をしていただいて、そこで双方に関わり合いながら、一つのものをつくっていくようになったんです。一日の中で、制作中の和紙の道具の周りに、職人さんたちがいるときと、私たちがいるときとが入れかわっています。それぞれ担当があって、それを入り混ぜながら一つの作品を漉いていくという方法なんです。無理強いしたくないのでそうしているうちに、職人さんには説明はしないでデザインは私たちが入れていく、ということが成り立ってきて、そのうちに10人で動くようになって。職人さんに何も伝えずに漉いていくと、偶然性が微妙に発生するということを発見したんですね。その発見していくとか新しい技術が見つかるということの根底は、自然に逆らわないことです。和紙の素材にも無理強いしない。水の力にも無理強いしない。職人さんにも無理強いしない。その無理強いしない中で、いろんな知恵や作為を関わらせていくということです。

上野

石の蔵の場合はどうされたのですか?

堀木

まさに石の蔵さんの制作の時も、職人さんに「一枚ですごく長い大きな和紙をつくりたい」と言ったら、そんなものできへんって。なぜなら道具がこういう形のものしかないからっていう答えが返ってきました。確かに、一枚漉きですから、職人さんの道具ではできない。それなら自分たちでつくろうということで、大きな桁で、自分たちの道具と手法でつくったんです。原料を職人さんに用意していただいて、私たちの京都の工房で、私たちだけで巨大な和紙を一枚で漉きました。こういうことも職人さんに無理強いしなくても、私たちでできるようになって。ただ、越前に行って職人さんと一緒につくる手法と、京都の工房で私たちだけでつくる手法、どちらも必要なんです。なぜなら、今ある伝統を未来につなぐという一つの使命と、今、革新を起こして未来の伝統をつくるというもう一つの使命、二つあると思っているからです。そのどちらが欠けても、結局未来につながっていかないので。

上野

職人さんたちも一緒に作業しながら、結果を目にすると、こんなことができてしまうんだという気づきがあったり。そこでまさしくさすがの領域というのを目の当たりにすることになりますね。

堀木

でも、職人さんたちは、私たちのすることについては、「そんなものは伝統ではない」って仰ってますから。それはそれでいいんです。ただ、若かったころは、そんなの伝統ではないと言われたときにすごく落ち込みました。私たちは伝統を未来へつなごうと思ってやっていますけれど、職人さんから批判を受けるわけですから。私はひょっとしたら伝統を崩すような動きをしているかもしれないと、そこで不安も出てくるわけです。でも、伝統って何?と原点に向かって考えると、1300年前には革新だったわけですよね。その革新が長年愛されて親しまれて使われてきて、今伝統と言われている。職人さんが仰るように、私がやっていることは伝統ではないんです。革新なんです。その革新を将来50年後、100年後、1000年後、伝統と言われるように愛されて親しまれて使われるようにしていけば結果的に伝統になるのだと。そういう考え方を持ってまたパッションを立ち上げる、という繰り返しですね。

上野

従来にないものを新たに切り拓かれるので、当然そこでの考え方とかアプローチには差があるのでしょうね。堀木さんの作品は海外でも注目され、活躍の場が世界に広がっていますね。

堀木

そうですね、徐々に徐々にと。ただ広告宣伝などは一切していなくて、国内でも営業はしていないんです。本当にひとづてにとか、作品を見てとか、テレビや雑誌を見てという形で、皆さんに知っていただいて問い合わせいただいて、何とか35周年になります。今の会社の前に、SHIMUSというブランドを起こしていますので、そこも合わせて35年です。8年前くらいから、京都の中心地にショールームを移転していますので、ぜひまた見にいらしていただきたいです。

上野

和紙の可能性や広がりを拝見できますね。楽しみに伺います。本日は有り難うございました。

2021年12月 アーティゾン美術館ミュージアムカフェ(東京)にて
 
photo by Keisuke Osumi

マネージャー 早瀬貴志

意匠設計からの転身

私は栃木の出身で、大学進学で千葉へ行き、卒業後は千葉の設計事務所に勤めていました。20年ほど前に栃木に戻ってきまして、それから飲食の仕事に携わるようになり、2010年夏から石の蔵のマネージャーとして働き始めました。
面接のときに初めて石の蔵に来たのですけれど、ここは本当にレストランなのかと、美術館みたいだなと思いました。大谷石については旧帝国ホテルにフランク・ロイド・ライトが好んで使ったことなどは知っていましたが、こういう形で地元のレストランに活かされていることは新鮮な驚きでした。早いもので現場を任されて10年、サービススタッフと共に、日々お客様をお迎えしています。

ホールのスタッフは現在、総勢21名です。メンバーはベテランが多く、おそらく他店であればリーダー格というような人たちが集まっていて、日々の呼吸も合っているように思います。私はその日の予約状況などを見て、お客様の動向を頭の中に描いて想定したり、同時にスタッフの動きにも注意を払うようにしています。お陰様で忙しいランチタイムも、いまはスタッフの動きがよい状態になってきました。

私は基本的にスタッフを管理するというよりは、リーダー的な存在でありたいという思いがありますので、自分のことはとりまとめ役だと思っています。スタッフが楽しく生き生きとやりがいを感じる環境をつくったり、それぞれの個性を見て適しているところを掘り出しながらポジションを考えたり。何かお願いをしたときに、素直に協力し合える関係性を、どうやってつくっていくとよいかに重きを置いています。そうした一つ一つのことが、お店にいらっしゃったお客様への快適なサービスにつながるようにしていきたいです。

マネージャー 早瀬貴志
和食とワイン、念願のソムリエ資格

前職の飲食店はカジュアルなスタイルだったこともあり、石の蔵に来るまで私はワインに詳しくありませんでした。上野社長からソムリエの資格を取ってみてはという話もあり、以前ここで私のセカンドとして働いていた社員がワインに精通していたこともありまして…。刺激を受けながら数年かけてソムリエの資格を取得しました。ですから、勉強していく中で、ワインの魅力にのめり込んでいったという感じです。いまでは自分も好んでワインを飲んでいます。

ワインの勉強は、フランスから始めました。ワイン王国だけあり、地方によってワインの味の違いがはっきりしていて、多様性が素晴らしいんですね。よく言われることですが、基準をフランスで学んで、イタリアはじめ、他の国々のワインを学んでいくのが王道で、私もその通りに勉強しました。

石の蔵の主役は料理。熊谷料理長の作る料理に寄り添っていけるようなワインをラインナップしています。たとえば赤ワインは、有名なボルドーはタンニンが強いものもありますので、和食に合わせて、ボルドーの中でもタンニンのなめらかなものを選んだり。白ワインは、野菜料理なら青っぽいハーブのようなニュアンスのあるもの、ソーヴィニヨン・ブランなどを合わせたり。料理長の料理は繊細なので、やはり私も味わいや香りのやさしいワインを選んでいますね。

また、季節感も大事にしながら、暑い季節には溌剌とした白ワインや、赤ワインもライトな感じにとか、肌寒い季節には温かいお料理と相性のよいワインなどをご紹介。和の料理にちゃんと寄り添っていけるもの、料理あってのワインという選び方で、ご提案していきたいなと思っています。
 
ワインのアイテムも充実しまして、現在は赤と白で18アイテムずつ、スパークリングやシャンパーニュも合わせると42アイテムになります。アシスタントマネージャーの神永もソムリエの資格を持っていますので、私たちでワインを好まれるお客様にご対応しています。

お客様に寄り添った“接客ストーリー”を

レストランの席数は106あり、規模としては大きい方です。規模とサービスのバランスを考えながら、この店らしいスタイルをどのようにつくっていくか、そのことも私の日々の仕事です。
まずは、”お客様に関心をもつ”ということが、とても重要だとスタッフに伝えています。と言っても、大げさなことではありません。どのような主旨でのお食事なのか、お客様の欲していらっしゃるものをさりげなく推し量ることができれば、自ずと接客のスタイルも変わってきます。

会話を楽しまれたい方にはお料理の説明を長々せず、テーブルに入る回数も必要最低限にして、会話のお邪魔にならないようにします。お料理を楽しむことをメインにいらしたお客様には、必要な情報をしっかり添えてお出しします。

お客様のお皿を下げるタイミングも同様です。お客様はメインのお料理を召し上がっていて、奥に空いているお皿があるとします。空いているお皿を見かけたらすぐに下げるのではなく、お客様がいまどういう状況かということに意識を向けます。そうすればお食事や会話の邪魔にならないようなタイミングで下げられます。つまり、お客様のタイミングということです。

また、ご予約時にはおっしゃらなかったけれど、お連れの方のお誕生日ということもあります。事前にご予約いただければスペシャルデザートにバースデープレートをご用意できますが、そのようなご予約のなかった場合、スタッフが気付くことができれば、通常のデザートにバースデーカードを添えてお出しすることもあります。ちょっとしたサプライズですので、お客様のご様子を見て、こちらが出過ぎないように…。

究極的なサービスを目標に

自身サービスマンとしてまだまだ発展途上ですが、究極的なサービスとは、普段はあまり体験できないようなことを、こちらの空間と料理とお酒をサービスを介してお客様にご提供していくものと考えています。本質的な食べ物や飲み物についての体験や理解、いままで知らなかった食べ物や飲み物との出会いや知識など、それぞれのお客様の嗜好に合わせてご提供していくことを店の目標としています。

たとえば、お酒は栃木の地酒や焼酎をラインナップしていますので、それぞれのお酒の美味しさを知識と合わせてどれだけお客様にお伝えしていけるか。酒器やグラスの形によって、同じ日本酒でも味わいや香りはまったく違ってきますから、そうしたことを実際に体験していただくことができます。和食と日本酒はとてもよく合いますし、和食とワインというものの相性の良さももっと知っていただけたらなと考えています。

石の蔵の空間には、たくさんの方が関わってくださっています。設計の新藤力さん、照明の山下裕子さん、家具の富田文隆さん、和紙の堀木エリ子さん、華道の川上裕之さん…。皆様の傾けてくださった想いをつねに感じながら、お料理やスイーツ、飲み物を提供し、お客様にまた来てみたいなと思っていただけるようにしていくこと。現場を任されている自分の大きな仕事だと思っています。

和食をベースにした創作料理は、幅広い年齢の方にお楽しみいただけます。懐石料理のようにカチッとしたものではなく、もう少し親しみやすい料理に仕立てているのも石の蔵らしさです。料理が美味しいということでリピートしてくださる方も多く、ぜひそのお料理を、この特殊な空間でスタッフのサービスとともに楽しんでいただけたらと思います。


取材後記 
にぎわうランチタイムにうかがうと、きびきびと働く早瀬さんの姿…。落ち着いたディナータイムには、ソムリエとしての一面も。訪ねる度に感じるのは、その接客スタイルの”公平性“という快適さです。お料理や空間はもちろんのこと、それらを楽しむ時間を贅沢に感じられるのは、お客様一人一人に寄り添ったサービスの素晴らしさだと思います。石の蔵らしさを追求するサービスを知ると、さらに贅沢な心地になれるのではないでしょうか。

田中潤さん (鉄作家) × 上野仁史 (「石の蔵」代表)

用と美のオブジェ
上野

レストランにある輪の形をした大きなオブジェ。田中潤さんに依頼してつくっていただいた鉄の作品です。レストラン右奥のガラス戸前に置いていますので、お客様にも馴染みがあるかと思います。あの場所は以前から度々、お客様がガラスだと思わずに通られてぶつかってしまうことがありまして。わかりやすく鉢植えなどを置いてしまうと、いかにも通らないでくださいという感じで機能面だけの配慮になってしまいます。立ち入らないようにする機能と同時に、むしろそれがあっていいという物を置きたい。用と美ではないですけれど、そこを兼ね備えた物をつくっていただきたいと田中さんにお願いしました。

田中

実際にガラス戸の前に立ってみました。向こうへ行きたいという感覚をなくすにはどうしようかと。機能面が見えすぎないように、空間とのバランスや、そこにあるいろいろな要素も考えて。輪のような形状を想定したときに腑に落ちたんですね。石の蔵の空間には、やはり力強さのようなものを感じていたので、作品に自分なりの力を通したら、気持ちもスッと通るような感覚を出せるのかなと。物づくりは物理的な解決だけでなく、心の面でも気持ちよい感覚になるようにしたいので、いつもそういうことを考えています。

上野

田中さんはご自分の腑に落ちるまで、真摯に考えを重ねられますよね。石の蔵の仕事でも、そうした姿勢が作品につながっています。あのオブジェは見事なバランスで、結界のようでありながら美しい佇まいで成り立っています。私は抽象的な物が好きなんですね。抽象美も様々あるでしょうけれど、田中さんの造形美には非常に惹かれるものがあります。

田中

初めて上野さんとお話したときにも、東京のHIGASHIYA GINZAさんや八雲茶寮さんに置いてあった私の抽象的なオブジェを見て、印象的に思ってくださっていると伝えてくださいました。まだ私が独立する前の仕事でしたから、おそらく10年くらい前ですかね。

上野

田中さんの作品との出会いはそこでしたね。後日、青山のサンドリーズさんから田中さんをご紹介いただきました。私のオフィスに飾る立体作品をつくっていただいたり、個展にお邪魔したり、田中さんの作品は自宅にも飾っています。度々お会いする中で、田中さんと仕事においてより関わりたいと思ったんですね。石の蔵の仕事として、まず先ほどのレストランに置いているオブジェをつくっていただいて、その後、石の蔵の第3次リノベーションではラウンジの空間づくりに深く関わっていただきました。

ラウンジと鉄の作品
上野

本館の奥、2階にあるラウンジは、2016年に行われたリノベーションにおいて完成した空間です。昼間はカフェとして飲み物やスイーツを楽しみながらくつろいでいただいたり、夜はアラカルト料理やお酒を楽しまれるお客様をご案内しています。婚礼の際はホワイエにもご利用いただいています。1階のギャラリー・ショップから螺旋階段を上がってくると、まず目に入るのが田中さんの作品です。

田中

ラウンジの壁に沿って、高さ2メートル40~50センチくらいの作品を配したパネルを6枚つくりましたので、かなりのボリュームです。螺旋階段の手摺り、階段支柱上部のオブジェ、ラウンジのテーブル本体とそこに設置しているオブジェ、サービステーブル、ブックエンドなどもつくりました。

ラウンジの壁に沿って配された6枚のパネル。それぞれ鉄パネルの中央には、高さ2メートル40~50センチの鉄のオブジェが並ぶ。
上野

ラウンジには田中さんの作品が集中してありますね。その世界観によって、屋根裏にある隠れ家サロンのような雰囲気になりました。照明も全体的に暗めで、ちょっと異空間です。照明デザイナーの山下裕子さんが、田中さんの作品と空間の居心地に寄り添って照明を考えてくださいました。

田中

山下さんは、仕事場まで来てくださって、作品にどういうふうに照明を当てるかなど、いろいろな相談をしました。空間そのものは、インテリアデザイナーの新藤力さんが想定する価値観があって、空間の構成も考えられていましたので、私の仕事はその中の物をどう考えるかということでした。例えば、テーブルをつくることは決まっていましたが、具体的なことはまだで、テーブルそのものを何かできないかとか、壁のパネルをどういう物にするかとか、そういうことを委ねていただきました。

上野

私はここに田中さんの美意識を取り入れたいなと思ったんです。田中さんにアイデアを出していただきながら、新しい感性で揺さぶっていただいて、美的に心地よい空間をつくっていきたいなと。リノベーションに当たって、新藤さんと様々な検討をしていく中で、田中さんに関わっていただくことを提案しました。ここは天井は高いけれど近くに感じられて、木は目の前に十分ありますし、もちろん石もあります。そこに鉄という素材が加わることは新鮮で、表現としても面白いだろうと思いました。

田中

大谷石の壁をむき出しの状態で見せるのではなく、パネルを使用していくというお話でした。

上野

本館レストランの大谷石は手掘りのはつりですが、ここの壁は機械掘りで手掘りほど表情がありませんし、排煙のための窓もあったりして、私はノイズを消したいと思っていたんですね。ただ、新藤さんはパネルで全部消してしまうのではなく、秩序的にパネルを6枚配して、大谷石の壁の存在も大事にしましょうと。

田中

そういうことから始まって、私がパネルの表現を考えることになったんですけれど、かなり悩みました。パネルという1枚の面で捉えて何かを表現することは、いつもの自分の鉄に向かって行く流れとは違って、どうしても違和感があって。あるとき面で考えることを止めたんです。6枚というボリュームも、ふだんの自分の仕事量で向かったときに想像がつかなかったですし、おそらくそれはやり過ぎであろうと。自分の表現は、かなり削いでしまうところがあって、それが抽象性とかにつながっていくんですね。面で考えようとすると、平面で構成していきそうになって、何か物語がどんどん生まれていってしまうようで、そこがちょっと違うというか…。
それで、自分が鉄に向かって行く、関わって行くときの行為を潔く出すことにしたところ、それが引き立つあり方と面のあり方を組み合わせるようなプランがフッと出てきて。ここに並んでいる6つのパネルにつながりました。1枚で完成ではなく、それぞれ違う表情の物が6枚、互いに空間に呼応しながら存在しているニュアンスです。

行為性や身体性を通してうまれた6つの作品。鉄に向かっていく行為次第で、出てくる表情は変わる。力強く叩いたり、繊細に叩いたり、それを捻ったり。叩き続ける中でどんどん消えていくような線や、溶断の中でうまれる断面の表情など、鉄の要素を丹念に作品として切り取っている。

上野

鉄に向かって行くときの行為を潔く出す、というのは具体的にはどういうことでしょうか?

田中

6つのパネルは、それぞれの作品で違いますけれど、鉄と向き合う作業行為の中にある要素を取り出して表現しています。基本的には鉄を真っ赤に熱して叩いていく”鍛造(たんぞう)”という作業になるんです。それを基軸として、鉄を切断していく技術も使います。溶断と言って、バーナーを使って火で切っていくのですが、このパネルにある作品は、その断面の表情になります。
鉄を熱して真っ赤に溶けてきたところに、高密度の圧縮酸素を瞬時に出すことで、吹き飛ぶように鉄が切れるんですね。機械的に切断するというよりは、火と空気で切っているというような状態です。その表情が、わりと自然現象に近いような印象になるのかなと思っているんです。鉄を叩く作業も、ただ人為的に叩くというより、自然現象の一つみたいな感覚が好きなので、そのニュアンスをどうしたら引き出せるのかなというような感覚で行っています。鉄は叩くと伸びるんですね。そのスッと伸びていく感覚が、自然現象に近づいていくような感じがしていて。そこが薄れてしまうと、良さが無くなってしまう気がするんです。

上野

材料の鉄は丸棒なんですか?

田中

ほとんどは丸棒で、それを平らにしていきます。フラットバーの場合は、まず両端を溶断で切った後に、叩いて平らに伸ばしていきます。とにかく全部叩いていますね。叩く道具の種類によっても変わります。手道具も使うんですけれど、鍛造機を2台持っていて、その鍛造機でやっていく荒々らしさですとか、手道具の細かさを追加したり、いろいろですね。全部一人で作業していて、一度の作業範囲はわずか数十センチくらいなので、同じことをコツコツと少しずつやっています。螺旋状の形状は、最後に捻っています。

上野

緻密さとか鍛錬さとか、そういうものが尋常ではないですね。パネルの作品は、エッジが立っていて、空間の空気感も他とは違います。

田中

パネルの表現に強いものがあって、空間に対してはそれで成り立っていると思います。なので、テーブルには逆に強いものを自分は求めていないなというか、テーブルはやりすぎにならないようにという感じがありました。

上野

テーブル本体も田中さんにつくっていただいたものです。どういうテーブルにするかというアイデアを重ねていって、田中さんのオブジェを設置したテーブルとなりました。11台のテーブルそれぞれに異なる11点の作品です。

田中

まずテーブル本体について、テーブルの要素としていい状態をつくりたいと思ったんです。脚の細さとか構成とか、ディテールを調整しています。そして座って心地よく話しているときというのはパーソナルな空間になるので、ふと目を向けるとそこに何かあるというようなのがいいなと思ったんです。最初は花器でもいいかなと思っていて、そこに花がしつらえられているみたいなイメージでした。ニュアンスは変わらないんですけれど、造形として思いついたのが、細い金属をクルクル巻いた11点の作品です。

上野

このオブジェは鉄ではなくステンレスですね。

田中

ステンレスの4~5ミリくらいの丸棒で、それを2ミリくらいになるまで叩いています。平たいものなら手で打てるんですけれど、ステンレスはとても固い素材で、結構な重労働で非効率になってしまうので、プレス機と鍛造機を使っています。でも、手の延長という感覚で、手で打っていくのと変わらない鎚目になっていきます。それと色合いも、鉄のような色にしたくなかったんですね。ステンレスは一回火を入れてしまうと黒くなってしまいます。この色味にするためには、生の状態で、いわゆる冷間で叩くしかないんです。ステンレスはもとは艶やかな銀色なんですけれど、その後に火を入れることによって炎色というか、三原色みたいな感じで出てくるんですね。その中でこれは真鍮色のような感じに留めています。一度だけ、色上げのために焼くという感じで、酸化皮膜なんです。

上野

最初に造形を考えておいてそこに合わせていくのですか? それとも手を動かしながらつくり進んだのでしょうか。

田中

これに関してはやりながらでしたね。平面で想定して構成を描いてみたんですけれど、実際に立体に置き換えてみると、まったく別の空気になってしまって。それなら最初から鉛筆で線を描くように、気持ちで描いていくような感覚でやってみたんです。線を1回描くと、そこから自然とこっちに行きたいという感じが出てくるので、最初にまず線を描くようにつくっていったという感じです。

鉄という素材の自然観
上野

田中さんの美意識の原点と言いますか、どういうものに触発されてきたのでしょうか。

田中

外側の物を見てとか、いろんな物に詳しいとかっていうことは全然ないんです。鉄だけでなく、自然素材は全般的に好きですね。自分はたまたま仕事として鉄を選んだという感じです。父が伝統工芸の世界で竹細工をしていて3代目です。物づくりの家に生まれたんですけれど、三男なのでただ見ていただけで、むしろそんなに興味もなくて、自分が物づくりをするとは思ってなかったですから。

上野

どこに物づくりのきっかけがあったのでしょうか。

田中

高校進学の時に、単純に普通校に行ってただなんとなく勉強するのは嫌で、親の勧めで都立工芸高校に進学しました。見学に行ったときに見た、手で物をつくるような学科に入ったら、たまたま金属工芸科だったんです。たぶんその頃までは物づくりとか意識したことはなくて、単純に面白そうだなと思ったのがきっかけでした。卒業後は父の勧めで、伝統工芸の井尾建二さんが主宰している青山の金工教室に1年間通いました。彫金だけでなく、鍛金で器をつくるような技術も学ばせていただいたり、密度の高いことを経験させてもらいました。その後、造形家・松岡信夫さんに弟子入りして、5年半学びました。その間に高岡短期大学(現・富山大学)でも金属工芸を学んでいます。本当は鍛金がやりたかったんですけれど、高岡は鋳物の町なので、鋳物の授業が多かったですね。

上野

ご師匠の作品はどういうところに憧れたんですか?

田中

最初に師匠の作品を見たのは高校生のときで、空間に鉄の手摺りがあったり自在鉤があったり暖炉があったり。自然素材の空間の中で、そういうものが生かされている。その印象がすごく強かったんですね。いまの感覚とはちょっと違うんですけれど、私は高校で金工を学んでいたので、同じ金属でもこういう感覚があるんだなと惹かれました。
私の原点がそこにあったかどうかはよくわからないですけれど、単純に物づくりが楽しいということよりも、なぜ人間は生きているんだろうみたいなことを考えてしまうタイプで。かといって哲学者のようにたくさんの文献を読んで深く知識を掘り下げるタイプでもないんです。ただ、行為についてずっと考えてしまう性質があって。それは家族との暮らしの中でも同じで、生きる行為があって、仕事があって、鉄があって、そういうのを全部考えてしまう。考えて行くのが好きなんですよね、きっと。考えないと、逆に不安になってしまうのかもしれません。

上野

鉄の魅力は、どのようなところですか?

田中

パネルの作品からも垣間見えると思うんですけれど、鉄は行為をすればするほど、有機的になっていく感じがあります。アール・ヌーヴォーはさらにこれを具象化していって、完全なる植物をつくろうとしていますが、その手前にこういうものがあるという感じです。ふだん目にする鉄と言えば、大半が工業製品。現代の社会では構造物としてしか捉えられていないような気がします。でも、手の行為を通して、有機性を出せますし、私は自然物だなと思っていて。自分の考えている自然物の状態が、どうしたら引き出せるかなというのが、やっぱり根本にはあります。

上野

自然性とか有機性を感じているのですね。

田中

そこが現代の空間に持ってくると、強く出過ぎてしまうんです。なるべく制御しながらつくることで、今の暮らしに取り入れてもらえたらなと思います。鉄には細くても自立した形を保っていられるという金属ならではのよさがありますし。細さとか繊細さを引き出すことができつつ、行為に対してはすごく素直な素材で、嘘がなくて全部出てしまうので、やってやろうみたいな感じで向かうとそれも全部出てきてしまったり、意図的になってしまったりします。でも、そこを丁寧に見ていくことで、自然なんだなという感覚が出てくるような気がするんです。私は何かを構成していくときに、どうしても削いでいってしまうんですけれど、削いでいくことで要素だけが残るというか、その要素そのものが自然なものという感覚が自分の中にあるんですね。

上野

鉄の要素を丹念に読み解いて、洗練させているのですね。

田中

例えば、ここのテーブルもオブジェも同じような気持ちでつくっています。テーブルに使用している鉄は、ほとんど工業素材そのまま。素材の状態として好きで、美しいなと思っているので、それが引き出されるようなあり方を考えています。構造物もある一定のところまでいくと、何かが変わるような気がするんです。以前は工業製品なんてという考え方が自分の中にあったんですけれど、今はむしろ必然的に成り立つ場所になると思っています。車のボディとかもそうですけれど、それがあるからゆえの形になっていくというか。それが自然なのかなとも思ったりします。

美しくて心地よい空間
上野

このラウンジは「美術館みたいですね」とよく言われます。今日、改めて思いましたが、田中さんの作品自体の素晴らしさを、照明が引き立たせている感じもありますね。本当はここに照明を設置したいという場所にダクトがあったりして、照明の山下さんはいろいろと苦労しながら調整してくださいました。山下さんの表現は、これ見よがしなところがなくて、少し引き算したようなさりげない表現を好まれるので、そうした感性と田中さんの持ち味がフィットした感じもありますね。

田中

いろんな角度からの光の当て方を検証してくださいました。光源そのものは見えないことも大事にされていました。

上野

新藤さんも久しぶりに制約のほとんどない中で、自分のやりたい空間づくりに取り組めたとおっしゃっていました。螺旋階段も美しい手摺りで、足元に照明まで付いています。ラウンジは石の蔵における3回目のリノベーションでしたが、私も経験を重ねてきて、新藤さんに田中さんを紹介したのも自分だったこともあって、この空間は従来の空間以上に自分も関わることができました。

田中

ラウンジには自分のつくったものが多いので、どうしても自分自身にダメ出しをしてしまうというか(苦笑)。お客さんのように空間を味わえる心境にはなかなかなれないものですが。でも、親を連れて来たときに、ふとそういう感覚を得られるときがあって。すごく不思議な空間というか、光の印象とか、空間の印象とか、豊かな感じはすごくしました。関わらせてもらって、有り難かったなという気持ちになりました。歴史や時代を感じられる、こういう空気の場所に、自分の作品が入るというのは、自分の中では新鮮で、そこも嬉しかったです。

上野

私にとって田中さんの作品は、見ていて心地いいんです。心地いいというのは、人それぞれでしょうし、抽象美もさまざまありますけれど、私にとっては心地いい抽象美なんですね。いつでも眺めていたいものです。なので、私はただ眺めているだけで幸せで、実は田中さんの制作視点というものについてはあまり考えたことがなかったんです。でも、先日、ある造形作家さんがこちらへいらした時に、その方も鉄を扱う方で、田中さんの作品を見て、これはすごいと。この作品づくりにかけたエネルギーは真似できないとおっしゃって。そこで初めて、私はエネルギーのかけ方というものを見るようになったんですね。美意識というものと同時に、それを手で丹念につくり上げていく根気強さとか。田中さんは鉄は素直な素材だと、やった事がきちっと軌跡として形になっていくとおっしゃってましたね。素材として伸びていくとも。鉄は生き物っていう感じですよね。

田中

ここにある作品を通して、そうういった鉄の要素を感じていただけたらなと思います。展覧会は少なくて、作品を見ていただける機会もなかなかないので。

上野

ラウンジにいると、田中さんの美意識を体験しているという実感があります。このボリュームを空間でという機会はなかなかないと思います。お客様にもじっくりと作品を眺めていただいて、田中さんの世界観を味わっていただけたら嬉しいです。

photo by Keisuke Osumi

川上裕之さん (華道家) × 上野仁史 (「石の蔵」代表)

空間に風景を生ける
上野

レストランの店内に入ってすぐ、生け込みのスペースがあります。石の蔵をオープンした当初、彫刻家に水盤オブジェを制作いただいて、もともと水を流していたのですが…。季節感や色もほしいと思うようになってきて、そこに花を生けてくださる方を探したのです。お花屋さんなど何人かにお願いしたもののあまり続かない中、知人のご紹介で川上さんと出会いました。それから、もう17年間もお世話になっているんですね。

川上

こちらこそ、17年もありがとうございます。石の蔵の空間は、自然でできた石の力がそのまま生かされていて、僕は好きです。やはり自然でできた素材の力というのは、何ものにも勝ると思います。どっしりとした、慌ただしさのない落ち着いた雰囲気で、非常に重みと格調がありますね。また自然の光の加減や照明の具合も深みがあって、奥深い厚みのある空間です。ここにいらしたお客様は会話も弾んで、本当に楽しいひとときを過ごされているなといつも思っています。

上野

こういう空間ですから、生けられる方の感性や技能が問われると思います。

川上

いかにさりげなく空間の中で成り立たせていくか、という難しさはあります。やはり空間美だと思うんです。この空間を最大限に生かしながら、空間も花も両方が成り立つように、お互いを引き立たせられるようなものをつくれるよう努めています。ここは本当に広くて天井も高いですし、普段お花屋さんの店頭に並ぶような材料ですと貧弱で、この空間に対しての力としては負けてしまうんです。なので、ここで使用する材料は、長さ・太さ・枝振りなどの指定を細かくし、この空間に似合うものを取り寄せるなど、常に吟味した素材選びをしています。長年、飾らせていただいているので、空間に対するボリューム感はわかってきていますが、植物の表情は毎回違うわけで、その都度新たな気持ちで空間と対峙しています。いつも真剣勝負ですね。

上野

生けている足元、植物を留める道具についても、川上さんは水盤の上に流木や河原の石などを組まれたりしますね。

川上

たとえば大型の剣山など、花を留めるための道具はいろいろありますが、それらの道具よりも自然でできた素材を留め物に使用した方が、大谷石や蔵のもつ雰囲気にはマッチするんです。そのような物を、普段から自分の足で見つけて、石の蔵専用にとってあります。やはりこれだけの空間を把握できるような、相性のよい材料というのはそうそうないですから、ときに大谷石や流木を自ら加工し、好みの物をつくりあげます。さりげなく主役を引き立たせる道具はとても大切な要素です。

上野

ここは外構に竹や紅葉の植栽があって、壁に蔦も這っていて、外の風景というのは、季節によって葉っぱが緑だったり、赤だったり、枯れて無くなったりと移り変わります。ところが、ひとたび店の中に入ると、変化があるのは川上さんの花生けのところだけで、あとは固定した眺めなんですね。ですから、季節感とか、何かお店の表情がこの前とはちょっと違うとか、そういうことに関しての役割を川上さんにお願いしているわけです。来店されるお客様はお食事が主目的ではありますけれど、空間に川上さんのお花あるいは造形があることで、お店での飲食体験の一部として、そこで表現していいただいているものを、何かしら感じ取られています。いつもと変わらない空間の中で、そこだけは何か変化があって、前はこうだったね、今日はこうなっているよなど、お客様の楽しみの一つにもなっていると思うんです。私自身、今回は川上さんこう来たなとかですね(笑)、毎回楽しんでおります。

川上

いつも温かく見守っていただきまして、感謝しております。生け替えはおおよそ月に1〜2回程度で、その間に何度か足を運んでいます。生の植物ではなくて造形物を飾る場合は、2ヶ月くらいの期間になることもありますし、その時々の花材の性質によってです。
季節感は常に大切にしています。たとえば夏はグリーンの強い物を多めに見せ、視覚的な変化で涼を感じていただけるようにしています。また冬は梅や桜をふんだんに使用することで、いち早い春の訪れを感じられるような花材選びをし、空間との調和を考えながら、一年を通してお客様に喜んでいただけるよう工夫しています。

上野

色についてはいかがですか。

川上

暗めの空間なので、たとえば蝋梅(ロウバイ)のような黄色の花はすごく映りがいいです。ひょうたんの照明にも合いますし。蝋梅には濃い黄色や薄い黄色に咲くいくつかの種類があり、ここでは黄色の強いタイプを選んでいます。

また、シンプルな色合いが似合う空間で、多くの色を混ぜ合わせすぎないよう、なるべく数少ない色量にして、空間の大谷石の色合いがぼけてしまわないよう心がけています。レストランで行われる結婚式の場合も、白とグリーンを基調としたシンプルな取り合わせが、この空間に合うと思っています。この場に飾るものは色も素材も大切にしている、と言えば伝わりやすいでしょうか。お料理も素材や色の選択が見栄えに大きく関わりますが、同じことだと思います。

2018/10 H様ウェディング
いけばなから広がる世界
上野

川上さんは華道家として、普段はどのようなお仕事をされているのですか。

川上

宇都宮市内にある自分の教室で、小原流のいけばなを教えています。小原流は国内146支部、海外64支部において、いけばな普及事業をすすめており、私は小原流研究院助教授として国内外を回り、会員及び教授者へいけばなの技術指導を行っております。その中には、百貨店での大規模な展覧会指導を含み、またさまざまな場での空間プロデュースも行います。そのほか、明治神宮で昭憲皇太后祭の一環として行われた華道御流献花会にていけばなの奉納、という経験もさせていただきました。

上野

幅広くご活躍ですね。これまで海外はどちらへ行かれましたか。

川上

ハワイを含むアメリカ、カナダ、ヨーロッパはオランダ、イギリス、スイス、ギリシャなどです。またアジアでは中国、台湾に行きました。

上野

海外支部は現地の方がされているんですか。

川上

時々、日本の方もいらっしゃいますが、ほとんどが現地の方です。海外ではホテルや大きなホールの舞台上で花を生けてお見せするショー的なデモンストレーションが人気です。

台湾にて*

材料は基本的に市場やお花屋さんで仕入れを行いますが、枝物などは会員さんのお宅の庭から切らせてもらいます。海外の会員は日本ならではの材料を庭に植え、育てている方が多いです。また日本文化に造詣が深く、いけばなをより理解しようととても勉強熱心です。

上野

いけばなは海外でも盛んなのですね。

川上

私自身もいけばなをすることによって、いけばな以外のさまざまな分野まで世界が広がっています。今後もいけばなを通して、自分自身が成長できるよう精進していきたいと思っています。

素材を想う、花と造形
上野

お花との出会いは、そもそもどこにあったのでしょうか。

川上

実家が祖母の代から続くいけばな教室でした。大学生の頃、いけばなをしている姉が造形的な作品をつくる姿に影響されまして、自分でも造形作品をつくり展覧会に出品するようになったんです。植物が好きで、その頃は材料に誘発されて、こうしたら面白いんじゃないかと焼いてみたり、色を着けてみたり。そのときに感じたものを作品にぶつけていたような気がします。小原流には「マイ・イケバナ」という立体作品の公募展があります。そこに出品されている造形作品を見て、いけばなにはこういう美術に近い面もあるのだと感銘を受けました。自分の足で採集した植物を変貌させたり、美術的な作品をつくり続けることで、机上で花を生けることだけでないいけばなの可能性に気付き、さらに興味が湧いてきました。大学卒業後は会社勤めをしましたが、25歳で会社を辞めていけばなの道へ。以来、花を生けることと植物を使った造形、その両軸でいけばなを追求しています。

上野

石の蔵では廊下のトイレ近く、フィックスガラスの前に、川上さんのオブジェを展示させていただいております。小原流は花と造形の両方をされるものなのですか?

川上

いまは花だけでなく、造形もするように指導しています。生の植物素材だけでなく、乾燥した素材や着色した素材、非植物の素材も用いて、造形的な美を追究しています。いけばなの空間を把握する力というのは、造形にも生きているんです。ですから、両方できて初めて、「いけばな造形」の力がつくのかなと。

上野

なるほど。

川上

小原流というのは、水盤に生ける生け方を創始した流派です。それまでは室町時代から続く立花(りっか)、花材を立てて生けるいけばながほとんどでした。明治に入って海外から輸入される花は丈が短く、また暮らしも洋風化してきたことなどから、時代に合わせて、もともとは池坊にいた流祖の小原雲心(おはらうんしん)が、水盤に盛るように生ける盛花(もりばな)という新しい形式を始めました。その一つに、写景盛花(しゃけいもりばな)という、植物の出生や季節感などを生かし、景色を水盤上に縮小して表現する生け方があります。これは他の流派にない独自の生け方です。また、小原流独特の琳派絵画のような華やかな生け方をする琳派調いけばなや、中国文人趣味の文人調いけばな、色彩豊かな花など、現代の建築空間のさまざまな場所に対応できる多くのいけばな形式があります。

“装花”という生け方
上野

石の蔵でも生花は用いずに、自然のものを取り入れてつくっていただくことはよくありますが、その場合は、いけばなではなく、何とお呼びするとよいのでしょうか?

川上

ここでの生け込みは「装花(そうか)」がいいのかなと思っています。「挿花(そうか)」という言葉はありますが、実際にやっていることは、装花なのかなという気がするんですね。石の蔵の空間の場合、ふだん出会ったことのないような飾り方を、ということがいつも頭の片隅にあり、ここに来ないと味わえないような作品にしたいのです。特に造形について、大谷石でできた蔵とのコラボレーションはここだけですので、それを楽しみに来てくださる方も多くて。この場所がなかったら、大谷石の空間を意識した作品をつくり続けることができたかどうか。個展や展覧会のための作品制作は行いますが、自然と格調を兼ね備えたお店の空間の一部として成り立つような作品はつくり続けられなかったかもしれないですね。

BankARTにて*
上野

川上さんの大作に、杉を削って玉をつくり、そこに枝を削ったものを刺してクワイのような形にした、高さ数メートルの作品がありますけれど、それは造形になりますか?

川上

はい。美術の世界に近い作品ですが、美術家と同じ作品をつくったとしても、どこかにいけばな的な眼は入っているんでしょうね。どの素材が曲がりやすいかとか、どういうふうに曲げると自然に曲がるかとか、扱いや表現には普段身についているものが自ずと生かされるようです。先ほど写景盛花という、景色を生けるいけばなの話をしましたが、植物がどういう環境の中に生まれ、どういう貌を見せながら育っていくのかを知っていないと、景色が生けられないんです。ですから、実際に自分で素材の出生を知るために、山を巡っています。その素材の出生がわかると、水盤上に表現するときも、素材に対するさまざまな引き出しができます。自分の足で稼いで、その素材をどこまで知ることができるか。ということが、自分の作品に現れてくると思いますし、その素材の良さを最大限引き出すことにもつながります。そのことは、美術的な造形作品をつくるときもどこかに自然と生かされてきてるのではないでしょうか。

上野

何が美しく、何がそうではないのか。ということを私はよく考えるんですね。具象というのは、ある程度はそのものを再現していくわけですけれど、抽象敵な表現というのは、何かを模すわけでもなくて、抽象美とはいったい何なのだろうかと。川上さんの造形世界は、抽象美ですよね。何か表現するときのきっかけというか、おそらく自然の物から発生している何かをキャッチして、ということなんでしょうけれど。川上さんの造形するに当たってのインスピレーションとか、想起されているものを教えていただけますか。

川上

僕の尊敬するいけばな造形の指導者から、良い作品を生み出すにはつくり続けないと良い物はつくれない、と言われてきました。物をつくるということは、生みの苦しみでもありますが、一つ一つの物をいつも一生懸命制作していれば、良い物ができるようになる。その繰り返しだと。それに加え、完成したときの歓びというのは何ものにも代え難く、評価されたりすれば一段と歓びも強くなります。続けていれば、良い物が簡単にできるようになるのだろうか、と思っていましたが、そうはなりません。いつもいつも苦しまないと、良い作品はできないことに気付いたんです。そういう意味で、上野さんのご質問の答えになっていないと思いますが、創作する感性が磨かれてきたのかもしれません。物をつくり続けることによって、素材と素材を空間に出会わせたりしていく力は、少しずつは身についてきたのかなと。それは年月をかけてということです。

上野

今後、石の蔵でやってみたいと思われていることはありますか。

川上

レストランでの結婚式のときに、たとえば先ほど話に出たクワイのような造形物をいくつか置いてみるのも面白いかなと思ったりしています。花も置きますが、造形物と花を出会わせて、インスタレーションのようにしたら、参加者に楽しんでいただけるかもしれません。あるいはラウンジスペースなどに、造形物が一つ二つ置いてあっても面白いかもしれませんね。しかし、結婚式の場合は、結婚される方の考えが100%ですので、果たしてどうかなとは思いますけれど。

上野

何かと造形を出会わせる、ということですね。なかなか面白そうです。

川上

石の蔵は空間そのものに力がありますから、生け込む空間としては難しいですが、その分、やりがいがあって面白みもあります。僕はここが栃木県の中でいちばんの店であり続けてほしいと、いつも思っているんです。そこに生け込みをするのだから、ほかにはないような何か違った物を、これからもつくりあげていきたいですね。

上野

川上さんと私は同じ生まれ年ですから、そう言っていただけると嬉しいです。お客様にもぜひ川上さんの生け込みを楽しみに、ご来店いただけたらと願っております。

photo by Keisuke Osumi (*以外)

富田文隆さん (家具/木工) × 上野仁史 (「石の蔵」代表)

大谷石と無垢の木、素材を生かす
上野

レストラン入口のガラスドア。木の取っ手は、富田さんがつくってくださったものです。2001年のオープンからこれまで、何万人もの方がそこに手を掛けてくださいました。大勢のお客様の手に磨かれて、いまではすっかりツルツルに。

富田

当初とは全然違いますね。もっとゴツゴツしていましたから。

上野

取っ手を引いて入ると、中は天井まで吹き抜けになった大谷石の大空間がひろがっています。その中央に無垢板の大きなテーブルがあって、両側にハイバックチェアが並び、奥の一段高くなった客席には太い梁と柱が十字に組んであり、テーブルには箱型の椅子。いずれも富田さんの木の仕事です。
初めて富田さんがいらした時のこと、この蔵を見られて、どのように思われましたか?

富田

再生前の蔵に初めて入った瞬間のイメージは、大谷石のはつった跡が深く印象に残りました。一つ一つ石を削り出して積み上げて行った、その想いを感じましたね。変な言い方かもしれませんが、この大谷石のもつ存在感に対する素材として、自分も“本物の木”をぶつけて対峙させるしかないなと思いました。それが第一印象でしたね。

上野

石の蔵と富田さんのご縁は、インテリアデザイナーの新藤力さんからのお声かけでした。まさに新藤さんは、ここを再生するに当たって、大谷石の力に対峙できるような方に家具づくりを依頼したいということでした。
富田さんの作風は力強くて、どちらかというと男性的。この建物に負けないですよね。人が一つ一つ削り出した、エネルギーを投じて産み出した大谷石というものに対して、富田さんも同じようなことを想われてアプローチされたように感じますが。

富田

そうですね。おそらく石を削り出した職人さんたちと同じような想いをずいぶん感じていたと思います。技術ももちろんそうですけれど、素材の持っているエネルギーをいかに生かすかということは大事です。レストランのテーブルはまさにそうですね。

上野

手はかけるけれども、素材の持ち味はできるだけ生かす。木の育ってきた形とか木目とか、そこをできるだけ生かそうという気持ちをいつも持たれていますね。

富田

私の工房は群馬にありまして、地元でつきあいの長い材木屋さんに、いい木目のものをと手配しました。名前の通り、栃木の県木は栃の木なんですね。地元産の大谷石を使った空間ですし、レストランの長いテーブルや、個室のテーブルも栃の木でつくりました。

上野

重厚で力強い趣きのテーブルに比べると、ハイバックチェアはやや女性的な曲線美がアクセントになっています。

富田

天井が高いので、背もたれはいくら高くてもいいんじゃないかっていう感じでつくりました(笑)。なかなかこういう椅子を置けるところはないですから。やはりここはちょっと異空間です。

上野

箱型をした椅子は、たしか何か元になるイメージがありましたよね。

富田

ヨーロッパの昔の教会かどこかにある椅子のイメージ。決して宗教的な意味合いはなくて、テイスト的なものです。

上野

なるほど。合理性とか、ストイシズムみたいなものから生まれる形かもしれませんね。

富田

おそらくそうでしょう。

空間がつなぐ、日本の素材・技術の表現

上野

新藤さんからの具体的なディレクションというのは、どういうものだったのでしょうか?

富田

石の蔵に限っては委ねられたところが多いというか、思いっきり自分の想いをぶつけてやらせていただいたという感じです。新藤さんとはいろいろなことについてアイデアを出し合ってよく話しましたね。

上野

大テーブルの脇に太い柱が立っていますが、どのような意図でしたか?

富田

この空間には、あのサイズしかないと思ったんです。バランス的に、あのくらいの太さが必要かなと。天井の小屋組みには、それほど太い材は使われていなかったんですけれど、この空間に対しては、あの太さの存在感があっても全然違和感ないですからね。

上野

実は、あの柱が現場に運び込まれた時、新藤さんは自分のイメージよりも断然太いと驚かれていました(笑)。

富田

そうかもしれません。でも、あれくらいがピッタリだろうという直感です。天井は見上げるほど高くて大きいし、空間に仕切りもないですから。

上野

設計モデル(模型)があったので、私もどこにどんなものが来るか、おおよそわかってはいたんですが、富田さんから何か届く度に、その大きさとか太さにはたいがい驚いていました(笑)。でも、それは大谷石の重厚感があるために、この空間のバランスにおいてはこれくらいがいいということですよね。

富田

はい。やはり、大谷石の表情がもつ力が、そう感じさせるんでしょうね。

上野

レストラン奥の一段高い客席に設けた大きな梁は、どういった経緯で出てきたのでしょうか?

富田

まず、床を一段高くした小上がりステージをつくりたい、という話が新藤さんからあって、空間の中に梁を飛ばしたいというか、象徴的に生かしたかったんです。それで、ステージの梁は少し曲がったものを探しました。曲がっている木って、すごくエネルギッシュですよね。そういうものを大谷石の壁と対峙させてみたかったんです。材は欅で、3人がかりで尺5寸(約45センチ)の柱と組み上げました。日本家屋の梁のイメージがちょっとあったんです。大きなスクリーンに竹の木舞を使うと面白いんじゃないかということもそうですが、日本の素材を使って、昔からある日本の技術を使いたいというのが基本でした。

上野

なるほど。対峙する大谷石というものがあるゆえに、向かい合うプロセスの中から形なり太さなり表現が生まれて、培われてきた技術もあって、こういう家具や空間となったわけですね。曲がった木の梁と真直ぐな太い柱を十字に組んだことによって、ステージはかなり象徴的な場になったと思います。

富田

余談ですが、レストランがオープンした後のこと。カトリック教会の神父様がこちらで食事をされまして。ちょうどその方は修道院の建て替えを検討されていたときで、ここに入った途端に啓示を受けたそうです。よほど感動されたのか、すぐに連絡をいただいて、その修道院のための家具を頼まれました。
レストランの空間は、教会を意識したわけではなかったんですけれど。ただ、ここの空間づくりは苦労して考えたというのがあまりないほど、アイデアが次々湧き上がるというか、天から神が降りてきたかのように自然な流れで出来上がった場所でした。もしかしたら神父様には、ステージに十字に組んだ梁と柱が、十字架を彷彿させたのかもしれません。

巨大レリーフは石職たちへのオマージュ
上野

レストランから続く通路の先にギャラリーショップがあり、通路を歩いて行くと、正面突き当りにある巨大レリーフに招かれます。このレリーフも富田さんの作品です。工房からこちらへ運び込まれて、ギャラリーショップの壁に設置された瞬間は“疾風怒濤” と言うんでしょうか。ありとあらゆる動き、想いが交錯しているようで圧倒されました。

富田

これは大谷石の職人さんたちへのオマージュです。5種類以上の樹種を使いながら、彼らの仕事に負けじと頑張ったんです(笑)。最後の最後に指を怪我してしまいましたけれど。高さ5メートル、幅3.6メートルの巨大なレリーフになりました。大きいので4つのパーツに分けて運び入れました。とにかく無我夢中でつくって、完成して我に返った時には感動していたほどです。

上野

少し出っ張りというか棚のようなところをつくっていただいて、商品を置けるようにしていただきました。あくまで作品の一部としてですが。

富田

ギャラリーショップには、この大きなレリーフとアールの壁面をつくりましたけれど、自分のアーティスティックなところを前面に出せたんですね。最初のレストランの時は、柱や梁の太さについてとか、ある程度の制約を感じつつ愉しみながら自分なりのものをつくっていました。

上野

そういう意味では、ギャラリーショップの空間には、あまり機能は求められていませんでした。でも、通路の先に何かほしいと新藤さんは考えられていて。それで、機能から解き放たれたアーティスティックな表現を富田さんに委ねられたんですね。

富田

やはり大谷石のはつった跡、人の手の跡というのが自分の奥深くに入って来ていたから、レリーフもこの表現になったんだと思います。以前からこのような仕事はやってはいたんですけれど、もっともっと深まったというか。自分としては大成功で、いま見てもいい仕事だなと思います。「刻み」というシリーズ名で、いまもこういう作品をつくり続けていて、いろいろな施設に飾っていただいています。

上野

振り返ってみると、石の蔵のリノベーション(コンバージョン)は3回に分けて、蔵全体の再生に広げて行けたことがよかったようです。結果として1回毎に、そこにエネルギーと時間を凝縮して費やせたので。当初想定していた予算をはるかに超えてしまって、実はとても苦労したのですけれど、何とか軌道にのせることによって、こういうものがあるからこの店の価値が高まったという結果を得られたわけです。
一流の作家というのは、限界を超えて行くというか、私の想像を超えて行くというか。ここまでいらないのではないかと思うところまでの表現とかサイズ感とか厚さとか、そういうものを提示されるんですね。

富田

自分にとってもここは特別な場所となりました。

海老原ファーム
海老原秀正さん

じっくり育てた味わい深い野菜
「エビベジ」

ランチビュッフェの「サラダ」をはじめ、「炙り野菜」「野菜の揚げ出し」などアラカルトの定番料理にも、海老原ファームの野菜を使っていただいています。ファームは石の蔵さんから車で20~30分、宇都宮市の隣の下野(しもつけ)市にあります。栃木県内では石の蔵さんとのおつきあいが最も古くて、もう10年になります。当時はまだうちの野菜も「エビベジ」なんて呼ばれていませんでしたね。

代々、米やかんぴょう、きゅうり、ほうれん草などを生産する栃木の普通の農家でした。私の代になってから、まずきゅうりを中心に、「多種類の野菜をじっくり育てる」という方針でやっています。なぜかというと、そのころ市場では早く、安く作れる野菜が主流となり始めていたのですが、野菜本来の味わいが育つ前に出荷してしまうことに疑問を感じたからです。

たとえば、ブルームきゅうり。表皮につく白いブルーム(果粉)は、水分の蒸散を防ぐために、きゅうりが自ら分泌する成分。このブルームに保護されて、水分をたっぷり含んだ、食べた時にシャキシャキっと美味しいきゅうりになります。野菜に合わせてしっかり育てることで、本来の味わいのあるものになる。うちではそういう野菜作りをすることにしたんです。

きゅうりに始まって、おかあさん(奥様の智子さん)がプランターでハーブを作り始めました。まだハーブを作る人は少ない頃で、バジルやイタリアンパセリ、タイム、スペアミントなど10~15種類のハーブを袋詰めにして。石の蔵さんのランチビュッフェのサラダにたっぷり使われているルッコラも、最初はハウスの中でプランターに種を蒔くところから始めたんですよ。とにかく、おかあさんがハーブと野菜作りにはまってね。畑から生まれてきたんじゃないかっていうくらい、土の上にいるのが好き。もちろん私も畑は好きだけど、おかあさんは畑に行くとストレス解消になるっていうほどだから。うちの立役者です。いまでは栽培品種は100種類を超えて、長男(寛明さん)やお嫁さん(麻美さん)、毎日10人以上のパートさんと一緒にファームをやっています。

ジャガイモ畑から、新しい風を

3年前から、新たに取り組んでいるのがジャガイモ作り。30数種類のジャガイモを試作していて、その中から今年は4種類「十勝こがね」「ジャガキッズレッド」「ノーザンルビー」「シャドークイーン」を選んで、出荷用に育てています。

うちの畑を見てもらうとわかるけれど、土が乾いているんです。植わっているところだけ土をこんもり高くして、両サイドの溝に雨水が流れて行くようにしています。土の表面はシートで覆って、必要最小限の雨水しか入れない。雨が降らなくても水はあげません。ジャガイモが自分の力で水を探しながら育ちます。収穫後は、すぐに出荷しないで、1か月ほど冷蔵庫に保存。そうすることで、でんぷんが糖にかわるんですね。

十勝こがねも1か月間冷蔵庫に入れると、甘くてホクホクのジャガイモになりますよ。北海道のジャガイモが甘くて美味しいのは、土の温度が10℃以下なので自然とでんぷんが糖にかわるから。この辺りでは冷蔵庫に入れないとかわらない。でもね、そんなことやっている人はいないんです。より美味しく食べてもらう、料理してもらうためのひと手間。自分で試行錯誤してみて、こうすると美味しさが違うなってことでやっています。

十勝こがねは、普通の白っぽいタイプのジャガイモ。ジャガキッズレッドは表皮が赤っぽくてサツマイモみたいだけど、中はきれいな黄色をしています。ノーザンルビーは細長い形の赤いジャガイモで、中はピンク色で瑞々しい。この瑞々しさが糖にかわると甘くなるんです。シャドークイーンは表皮が黒に近い紫色で、中も深い紫色。焼いても加熱しても紫色のままで色が抜けないから、色味を楽しむ料理や菓子に向いていますね。

左上から 十勝こがね/ジャガキッズレッド/ノーザンルビー/シャドークイーン

いま日本には77~78種類のジャガイモがあるんです。だから、半分くらい試作したことになります。試作したジャガイモはホテルやレストランのシェフに試食していただいて、評価をランク付けしていただきました。それらを元に選んだ4種類が、本格栽培しているものになります。

実はこの取り組みは、エビベジの名付け親であり、プロデューサーでもあるギリーの渡辺幸裕さんの発想から始まったもの。今年はズッキーニだけでも13種類を一緒に作っています。試作しながら、料理人さんたちの声を聴いて、品種を選んでいく。そうすると生産者・食材の提供者と料理人が一緒になってということができますし、いずれ情報や反響をうちのホームページに公表して共有していけたらいいなと思っています。いまこういうものが喜ばれているとかわかると、生産者も料理人も新しい品種に取り組んでいくきっかけになるのではないかな。

石の蔵にて、熊谷料理長と対談

熊谷

ジャガイモの試作を始められる前に、海老原さんが店に来てくださって、その時もそういう話をしてくださいましたね。出来上がるのを楽しみにしていて、紫色や赤色した新しいジャガイモもちょこちょこいただいてきました。それらがまとまって収穫できるようになったというのはすごいですね。海老原さんの畑に行くよって言いながら、日々の忙しさの中でなかなか行けなくて。でも、一緒に進めて行きたいという思いはいつもあります。

海老原

今日初めて丸いズッキーニを持ってきました。ピンポンズッキーニとか、呼び名はいろいろあります。いままでなかなか持って来られなかった品種で、黄色と緑色もあります。細長いズッキーニは普通にあるんだけれど、丸いのはまだ珍しいんです。他にも、ゼファーとかイボイボズッキーニとか、もう少ししたらいろいろ出来てきますので、それらも提案していきたいなと思っています。そういう中から熊谷さんの選んだズッキーニをうちが栽培して、それを料理していただけたら、ひとつの物語になるんじゃないかと。いずれそんなこともできるようになったらいいなぁと思います。

熊谷

お客様が初めて見る、聞く、食べるという野菜は、もうそれだけで強みではあるんですけれど、海老原さんの野菜はそれだけではなくて、必ず食べて美味しい。野菜らしさを生かしている美味しさです。苦い物はきっちり苦くとか。甘い物も多くて、そのまま食べるのが一番美味しくて、何か手を加えるのがもったいないような野菜ですよね。

あやめ雪かぶ

たとえばズッキーニとか、あやめ雪かぶとかも、作っている方は他にもいらっしゃいます。ただ、違いは見てわかるし、使ってみてもわかる。やっぱり海老原さんのお野菜は、大事に使いたいなと思うんです。一方で、ランチビュッフェでもサラダにたくさんお出ししていて、そんなふうに使ってしまっていいのかと最初はちょっと思っていたんです。料理を作る側として、そこはいつも考えさせられるところです。でも、お客様に実際に食べていただいて、お野菜が美味しいと言われるのは、何よりうれしいんです。

海老原

お店にいらっしゃるお客様にそう言っていただけるのは、生産者としてもうれしい限りです。一年を通してサラダで出していただいたり、プレートの上に載る、もうこれぞという熊谷さんの料理に、うちの野菜を使っていただけたりするのは、お客様にも両方を味わっていただけて、本当に有難いことです。お店に喜んでもらえる、お客様に喜んでもらえる。自分たちはそこを目指している作り手なので。これから、もっとそこを目指して作っていくことになると思います。

熊谷

海老原さんの野菜は、1週間経っても野菜の「旨さ」というのが変わらないんです。たとえば、石の蔵では土のついた状態のまま保存して、使う分だけ洗ってというようなやり方をしているのも、そういう良さがあるから大事に扱っているんです。きれいに洗った状態で納品される普通の野菜は日持ちもしないですし、旨さも落ちて行く。それが当然の話だったんですけれど、いい意味での裏切りが海老原さんの野菜にはあって。これは本当にいいな、大事に使ってこの旨さをお客様に届けたいなと思ったんです。

海老原

野菜は実は鮮度だけではないんですね。2日経っても3日経っても美味しいものでないと。石の蔵さんとうちはリードタイム(発注から納品までの必要時間)を読めますけれど、一般家庭のお客様に届けて、家の野菜が1週間経っても美味しい状態でなかったら絶対ダメだと思っているんです。そのくらい、美味しさは落ちずにいければと思って作っています。

熊谷

アラカルトでお作りしている人気メニューの「炙り野菜」。以前は普通に炙っていましたが、炭の香りがとても合うので、炭火で焼いています。旨味を増幅させるような効果があって。それは普通に八百屋さんから仕入れた野菜でも同じようになるかというと、そうはならない。やはり特別な野菜だなと。その特別感をお客様に味わっていただきたくて、その価値を認めていただけたらうれしいなと思って、去年くらいから炭火を使うようになりました。それまでは炭火を調理場のどこにセットしてどうやるかというのがなかなか決められなかった。でも、魚を焼くにしてもそうですけれど、炭火は遠火の強火とか焼き方もいろいろあって、わざわざ手間をかける意味はある。小さいですけれど炭の焼き台を導入することにして、そこで野菜を焼いてみたら、甘かったんですね。素材がより生きるというんですかね。素材のよさがより表面に出て来て、これはもう誰が食べてもわかるだろうなというものになっています。

海老原

野菜冥利に尽きますね。うちの野菜が、そうやってどんどん手を加えていただけて。自分もそうですけれど、熊谷さんも、結局、最後はお客様にいかに美味しく食べていただけるかっていうところを大事にされていますよね。うちでお母さんともよく話します。自分が畑で種まいたり、植えたりしているのも、やっぱり最後の食べ手のところに届くまでの間に入ってくれている料理人の方々に、いかに本気で向き合ってもらえるかってことだと。料理人さんたちが、本気で向き合ってくれるような野菜を作らないと、そういうふうに扱ってもらえないと思うんです。そのためにも品種を選んだり、いろんなものを試作しながら、その中で抜粋したり。そんなことをうちはやっているんです。余談ですけれど、新しい野菜をいろいろ試作して、うまく美味しい野菜にできるのは3割くらいです。そういうものを出して、それでもはじかれるものもあるわけですから。試行錯誤して日の目を見た野菜が、そうして炭の上に載って、さらに美味しくなって提供されるというのは本当に有難いことです。

熊谷

この前、食べに行ったところのシェフが、料理の最後に、とちおとめのとてもいい苺をアイスにされていて、その時に聞いた話なんですけれど。そもそもこの苺はとても美味しい苺だから、そのまま食べれば一番美味しい。それをアイスにするのだったら、そのまま食べるより美味しくしなかったらやる意味がないと。アイスが食べたいからアイスにするのではなくて、この苺の旨さをもっと美味しくするために、あえてアイスとかジェラートとかにして出していると。なるほど、すごいなぁと思って。その方を見習おうとやっています。

海老原

本気になってもらえる素材なんですね。

熊谷

すばらしい素材だから、自分の熱をかけて向き合える。野菜は、肉や魚の脇にちょっと置いておくものになってしまいがちじゃないですか。そうではなくて、海老原さんの野菜というものを前面に出したメニュー構成を進めて行きたいなとずっと思って、いろいろやってきたという感じですね。
実際は多くの人は肉も魚も好きですから、野菜ばっかりではということもあります。ただ、そういう肉や魚に添えた野菜も美味しいとおっしゃるお客様がたくさんいらして、ここは野菜が美味しいですね、と言われると、あぁよかったなぁと思いますね。
海老原さんからは年間スケジュールをいただきますし、自然相手ですからその通りに行かないこともありますけれど、月初に今月の野菜リスト、これが旬でおすすめですよとか、収穫を迎え豊作ですよとか書かれたものをいただけますから、それを見ながらいろいろメニューを考えています。

海老原

料理人の方にお聞きしたいのは、どんな野菜がほしいか、ってことですね。こういうのを作ってくれとか、こういう時にこんなものがあればとか、このお皿にいつも悩むから、この時期の肉や魚に合わせるのに何かないかなとか、そういう相談でもなんでも。それを思い浮かべて野菜の品種を選んだりもできるようになるかなと思いますし、頑張って合わせるように作って行きたいです。

熊谷

年間通して海老原さんが作ってくれる野菜。一年中まったく切れないということはないですけれど、小人参とかルッコラとか、そういうものは年間通して作ってくれて、ずっと安定して使えています。どうしても季節物になると、それがもう少し続くといいなぁと思うことはありますけれど、でもなくなってしまった時には、代わりの野菜を出してくれて、単に今日は欠品です、では終わらない。我々のこともちゃんと考えてつきあってくれる方って、あまりいないんですよ。だいたいは電話一本、今日は欠品ですで終わりですから。このおつきあいをこれからも大事にしていきたいですし、いろいろ代替で出してくれたものともちゃんと向き合っていきたいです。それは日々やっている中で、仕事としては大変だけれども楽しみでもありますから。

熊谷料理長の華やかな盛付けに感慨深い海老原さん
海老原

たしかにスナップえんどうとか期間が短くて、3月~5月くらい。やっとメニューに使い出したと思ったら取れなくなって。代わりに、すみません、モロッコいんげんを使ってくださいって(笑)。モロッコの代わりにサーベルとか、それが反対になったり、そうしているうちに夏になって四角豆が出てきたり。豆ばっかりじゃなくて、夏は葉物も出て来るし、おかひじきとかつるむらさきとか、オクラ、モロヘイヤ、、、いろいろあります。

熊谷

モロッコいんげんは、どこでも売っている野菜ですけれど、海老原さんのは全く違います。一番の違いは食感。旨味とか風味もあるんですけれど、シャリシャリっていうのがあって。この食感を生かしたいなぁって思うんです。普通のはもっちりするような感じなんです。ちょっと歯ごたえを残す感じでゆでると、今まで味わったことないような食感が出て来るんですね。すごいなぁといつも思います。

海老原

そういう声を聴いたら、グレードを落とせなくなりますね(笑)。自分の気づかないことを気づかせていただけます。あっという間に10年のおつきあいですからね。新しい野菜を作ったら、こういう物が出来ましたよとサンプルを出して、熊谷さんに真っ先に提案させていただいて。石の蔵さんは発信基地みたいになってくれています。地元でそういうことをどんどんできるというのはうれしいですね。

熊谷

海老原さんの野菜を楽しみにしていますので、これからもよろしくお願いいたします。

エビベジ http://ebivege.com

新藤 力(インテリアデザイナー) × 山下裕子(照明デザイナー) × 上野仁史(「石の蔵」代表) – 鼎談前編

「石の蔵」は2001年の開店を含め、3回のリノベーション(コンバージョン)によって、蔵全体の再生を行ってきました。前回のジャーナルでは、その再生に寄せる上野代表の想いをお伝えしました。今回は、この再生プロジェクトに当初から取り組まれてきた、インテリアデザイナー・新藤(ちから)さんと照明デザイナー・山下裕子さんを交えての鼎談です。

左から 新藤 力/山下 裕子/上野仁史 (敬称略)
上野

新藤さんは「バナキュラー(vernacular)」という言葉を、キーワードの一つにされています。バナキュラーとは、土着のもの、風土的なものに使われる言葉ですね。

新藤

まさにここは地元産の大谷石を使って建てられ、倉庫として使用されてきたバナキュラー建築です。そうした再生は、できるだけ地元の継続的なコミュニティに引き継いでいけるものにしていこうというのが基本的な考えです。既存の建築物を有効活用して、新たな価値をつくっていく再生を「リノベーション」「コンバージョン」と呼びますが、リノベーションは用途を変えずに価値を再生することで、コンバージョンは用途を変えて価値を動的に再生することを言います。

上野

なるほど。リノベーションの方が周知されていますので、そのように言っておりますが、意味的には石の蔵はコンバージョンになるのですね。

新藤

私の仕事の多くは、どこかのテナントビルの中に店をつくるというものですけれど、そうではない、地域に根差した建築物の再生は好きなんです。ここには経過した時間、蔵自体が体験してきた空間がありますから。この時間・空間の記憶をスクラップせずに、残しながら代謝させていくのは魅力的なこと。日本のもののつくり方というのは、スクラップアンドビルド、壊してつくるという開発手法が長いこと行われてきました。しかし、これからは文化が成熟していくためにも、こうした既存建築物を再生しながら地域と共に成熟して行くということが必要なのかなと思います。

上野

一過性ではない建築、長い時間を紡いでいく建築というのは、極めて真っ当なことだと私も思います。この蔵の再生に当たって、最初に考えられたこと、念頭に置かれたのは、どのようなことでしょうか?

新藤

最初に訪れた時、たとえば守衛室とか、車寄せの屋根とか、事務室とか、倉庫として使われていた時のものがありました。長年のさまざまな事情で建築が代謝していく中で、そういう付加物がどんどん付いていたんですね。それらをまず原型に戻そうと考えました。
この蔵からいちばん感じたのは、数十年前の手掘りの大谷石のテクスチャーであり、手掘りの時代の大谷石がここに存在しているんだ、ということ。そこはできるだけ残して見せていきたいと思いました。手掘りの大谷石が内包している時間というのは素晴らしいものです。その建築が体験した時間、体験してきた空間を、できるだけ大事にしながら自分はつくっていきたいと思いました。

上野

当初、屋内の壁の大部分は簀子のような板で覆われていました。それを剥がしていくと、手掘りの大谷石が全面に現れて、本来の姿が見えてきました。

新藤

それをいまいちばん味わっていただけるのは、レストランの客席です。とくに奥の方は、山下さんの照明によって、丸鋸で平らに切った大谷石には見られない、手掘りならではのテクスチャーというものが浮かび上がっています。

上野

ここは大谷石の蔵としては宇都宮では最大規模で、広さは140坪あります。

新藤

その大きさもできるだけ残していこうと考えました。保健所からは天井を張るようにとかいろいろ言われますけれど、こういう小屋組みは残したいですし、見ていただきたいので、できるだけそのままにしています。当初は一部に2階もありましたけれど、とにかく原型をまず取り戻して、そこから始めたんです。

上野

原型に戻しつつ、年月や風土に育まれた部分は残していますよね。

新藤

外観はなるべく手を加えないで、外壁に絡まった蔦や蔵窓はそのままです。地域の中で蔵が過ごしてきた数十年を大切にしたいなという思いがあります。
何を残して何を変えて行くか、変わるものと変わらないものの共生と共振を図ること、そこの判断がいちばん難しいところです。この蔵でいえば、手掘りの大谷石のテクスチャー、蔵の大きさや小屋組みなどは、本来の姿を見せていきたいところ。ただ耐震のために新たに柱を加えたので、その柱をわからなくするために光の筒をつくって巻いています。

上野

山下さんはかねてより新藤さんとはさまざまなお仕事をされていますね。私は照明の役割、力というものを、最初の頃はまだよく認識していませんでした。新藤さんからぜひこのプロジェクトに山下さんの照明の力を、というお話で関わっていただくことができました。最初に山下さんに来ていただいた時、「ここは小樽にはしたくないですね」とおっしゃったことをよく覚えています。当時の私はその真意すらわからなくて、それは何を意図しているのだろうかと(笑)。山下さんはここをどのようにイメージされたのですか?

山下

決して、小樽が嫌いなわけではないですよ。小樽には運河があって、建物の中には人の行き交う商業施設があって、小樽はあの光でイメージが出来上がっていると思います。石の蔵の場合も、施設として人に集まってきてほしい場所であり、遠くからもわかる存在でありたいものの、新規に生まれ変わりました!というアピールよりも、昔からそこに普通に存在していたとか、気が付いたらそこにあったみたいな。そしてこれからもずっとあり続けるような、そういう地域に溶け込む存在であってほしいなと思ったのです。

上野

照明によってわかりやすく目立つ存在にする必要はないということですね。

山下

特徴のあるところをライトアップするという手法は、外に向かって、ここはこういう場所ですよというのを見た人にわかりやすく、理解されやすくする手段です。でも、当時私はこの蔵はそうではなくて、暮らしている人たちの生活のシーンに取り込まれるような存在であってほしいなと考えました。今までもこれからもずっと宇都宮のこの場所にあるという存在であってほしいなと思ったのです。それを明かりとしてはどういうことかと言うと、光を当てる当てないとか、何ワットでどうするとかではなくて、「どう見えているか」ということになるんですね。

上野

光も建築も、その在り方が大事なのですね。

山下

新藤さんのおっしゃった「前のままの建築を代謝させていく」「原型に戻す」というのは、本当にそうだなと思います。壊してつくり変えるのではなく、そこにあり続けるための新陳代謝を繰り返していく。そのために、見えてくるものというのが存在しなければいけなくて。この建物が本来持っている特徴的なディティールである手掘りの大谷石も、何もしなければ言わなければ、なんかガリガリしているな、くらいの受け取り方になります。けれども、ライトアップすることによって、一つ一つ掘って、積み上げて、というシーンが感じられるようになります。そのテクスチャーに気付いたり、そのダイナミックな空間に包まれてお食事するのは何か豊かな感じがしたり。また、大谷石の特性は石と言っても冷ややかな感じはなくて、温かみがあります。そういうものが見え方として表現されるといいなと。そんなことを思いながら、レストランの照明は考えました。

新藤

山下さんのデザインの考え方は明確です。照明デザイナーもいろいろな方がいらして、光で形をつくるという人もいます。形がパキッパキッと見える明かりというか。山下さんはそうではなくて、当てないことも光だし、当てることも光だし。そういうこと全部含めていろいろ考えられているんだけれど、その意図が消えるというか、意図が見えない、形に見えないようにできるのが山下さんの照明だと思うんです。それは私も同じで、意図はするんだけれど、その意図が消えるようにします。なぜかというと、意図がわかったり、形が見えて、その理由がわかってしまうと、人はつまらなく感じてしまうからです。

山下

納得されてしまうんですね。ああ、そうだったんだって。そこからさらに味わっていくとか、そういうことに発展していきにくい。

新藤

だから、私たちの仕事は、どう感じてもらうかなんですね。意図が見えないから、いつ訪れても新鮮な感覚があると思いますし、それで長続きしていけるのだろうと。

上野

これ見よがしにしない、やり過ぎないとか、実はしているけれどその意図をあまり感じさせないとか、そこはお二人にも、竣工時の写真を撮ってくださった白鳥美雄さんにも共通するところですよね。至極真っ当で正直で、そこに力があるというんでしょうか。写真でも他の方が撮られると、ちょっとアクロバティックというか、何か強調されて不自然な感じがして。ですから、そのあたりのバランスの絶妙さみたいなものが、ここが長続きしていけたり、飽きずにいてもらえたりする要因なのかなという気はしています。

写真:白鳥美雄/2006年竣工外観
新藤

白鳥さんの写真は正直ですから。失敗したなと思う所もその通り、失敗したように撮るんですよね(笑)。建築写真家によっては、上野さんがおっしゃったように、ちょっとアクロバティックに、人の目線はここじゃないよね、というようなところから撮る。あるいは山下さんが光をつくられたところに、いろいろ光を足して捉えたりすることもある。白鳥さんはそういうことせずに、真っ当に、真っ正直に捉えます。その正直さというのが、こうしたリノベーション、コンバージョンには大事なのだと思います。

山下

これからずっと地域の人たちに、親子何代にも渡って、長く通ってもらえる場所になるといいなという気持ちはすごくありますね。

新藤

こういうプロジェクトというのは、突然変異してはダメなのだと思います。何か、昔からこんな感じだったよね、と思ってもらえるくらいの変わり方、新陳代謝がよくて、それがデザインのいちばんの醍醐味であり、いちばん知性のいるところです。ここは地域のコミュニティの中に一体化していますし、倉庫からレストランにコンバージョンしても、60年前からこうだった、というようなことにしていきたい。こうしたバナキュラー建築は、地域のランドマークとして長く続いてほしいです。

山下

照明デザインは、見え方をデザインする立場でありながら、関わりとしては設備系のことになります。耐震、省エネルギーなどいろいろありますが、そのままでは実施出来ないこともあって、設備的には建物を壊してつくりなおした方が簡単ですし、実はその方が費用もかからなかったりします。壊さずに継続させて存在させていくというのは、プロ的ノウハウや、空間への想いを実施するためのデザインエネルギーがかなり必要です。建築物を地域の一つの景色として、ずっと残しながら新陳代謝していく。それはすごいことですし、ランドマークというのは、目立つシンボルだけがランドマークではない。一つ何かここにある、というのが皆さんの頭の中の宇都宮の地図にある。そこがとても大事なことかなと思います。

新藤

今から手掘りの大谷石で蔵をつくるなんてできないですからね。なるべく建築は残ってほしいし、パティーナ(Patina)って言いましたっけ、経年変化の味わいを。そういう年を取ってもいい顔になるものを大事につくっていきたいですね。今は年を取れないものが多いですから。

新藤 力 × 山下裕子 × 上野仁史 鼎談» 後編へ

上野仁史 「石の蔵」代表

大谷石の蔵を使って表現したい

この建物は、今から64年前に、食品原材料の倉庫として建てられたものです。後年、倉庫を郊外に新設移転したことから、この蔵は使われなくなっていました。

私は東京に15年ほど暮らした後、33歳の時に家業に従事するため宇都宮に戻り、36歳で「石の蔵」を始めました。宇都宮に生まれ育った私にとって、大谷石の蔵や景観というのはごく身近なもの。特別なものではありませんでしたが、東京で会社勤めをしていた頃に、その価値に気付く、象徴的な出来事がありました。

それは仕事で百貨店「香港西武」へ行った時のこと。そのエントランスに大谷石が使われていたのです。佇まいが素晴らしく、海外の商業施設に地元の石が使われている姿を目の当たりにして、改めて大谷石の価値を知りました。

宇都宮に戻って地元を見つめ直してみると、宇都宮は東京以北では札幌、仙台に続いて3番目に大きな都市で、商業集積もあります。ところがあまり特色はなくて、東京から遊びに来てくれた友人を案内する先は、益子や那須、日光とか、市内では大谷石資料館というかつての採掘場くらい。せっかくなら東京にはない、この地域ならではの体験をしてもらいたいなと考えている内に、休眠状態だったこの蔵の活用を思い立ちました。地元産の大谷石の蔵を使って、何か地元の表現をすることはできないか。それが「石の蔵」を始めた動機です。

宇都宮には大谷石を使用した蔵が点在していて、一旦地元を離れて戻った私の眼には、それが宇都宮ならではの景観に見えました。ここまで大きい蔵というのはさほどありませんので、何か有効な活用表現はできないものかと。セミナールーム、イベントホール、益子焼のギャラリー、ビアホール…さまざまな選択肢を考えました。そして、もともと食品原材料の卸を家業としていたことや駅ビルで飲食店を経営していたことなどから、食との縁を生かして、この蔵で飲食店を始めることに決めました。

価値のある体験は、人を豊かに

私は常々、「体験価値」というものを、とても意義あるものと考えています。自分自身、いろいろな体験によって感動したり、気持ちが豊かになったり、くつろいだり、リフレッシュできたりするんですね。お客様にも空間やサービス、提供物など総合的な体験を通して、何か素晴らしいと思っていただける価値を提供していきたい。その思いは強く、飲食店を始めた理由のひとつでもあります。

物販店ですと、お客様は店に入ってちょっと滞留して買物したら帰られてしまう。飲食店の場合は、昼であれば1時間半くらい、夜は2~3時間くらいは、スタッフを介在してお客様と体験を生み出すことができます。さらにとなると、宿泊ということになるのかもしれませんが、飲食店では物販店以上に、体験価値というものを提供することができるんですね。

そして、和食の店にしようと思ったのは、当時、宇都宮には東京にあるような若者向けの洒落た店ができ始めていたんです。逆に、私は30代半ばでしたが、自分より年上の人がくつろげるような場所はありませんでした。そういう店をつくりたいと思い始めて、それなら軽飲食というよりはしっかりとした飲食で楽しんでもらえる店がいいなと。和食なら男女の隔てなく、年齢の隔てもなく、友人や家族と一緒に来ていただけるんじゃないかと思ったのです。

私は海外に少し暮らした経験がありまして、海外にいると日本人としてのアイデンティティとか感じますよね。外国のものより、日本のものを追及する方が自分にとって納得感もありました。「大谷石の蔵を活用して地元の表現をする」という動機とも結びついて、宇都宮産、栃木県産の食材を使った和の料理を提供しています。

美味しく食べる、という悦び

開店当初の2年くらいは、料理についてしばらく悩んだものでした。その時期に、これはいい!と思ったのが「一部ビュッフェスタイル」。完全なビュッフェスタイルではなく、一部と付く理由は、主菜はオーダーを受けてからお作りして、作りたてを席までお持ちするからです。ビュッフェコーナーでは、前菜とデザートをご自身でお取りいただきます。自分で好きな物を選んだり、食べる量を加減できたりするのは楽しいですよね。

この一部ビュッフェスタイルは、パークハイアット東京にある「ニューヨーク グリル」が開店当初から行っているスタイルです。私も食事に行って、主菜は作りたてをいただいたり、ビュッフェでは自分の嗜好を楽しんだり。これはいい!という体験をしました。後日、料理長とマネージャーも連れて行き、このスタイルにヒントを得ながら、石の蔵らしいメニューとスタイルを皆で考えました。

そうして生まれた石の蔵の一部ビュッフェスタイルをランチタイムに取り入れて、もう15年くらい経ちます。主菜をちゃんとお作りしてお持ちするのでメリハリもつきますし、温かい物は温かい内に召し上がっていただけます。ビュッフェではお客様の嗜好に自然と近付くことができて、それでいて主菜は別にちゃんとありますから、ビュッフェで食べきれないほどの量を取って余らせてしまうということも防げているように思います。

「食べる」ということは根源的なこと。その当たり前のことを、最近はとくに、母が入院したこともあって実感しています。母に体調がよくなったら何をしたいかと尋ねると、「美味しい物を食べたい」と言うんですね。料理を美味しく食べられる体調ということはもちろん、そこに家族や仲間がいて、共に時間を過ごせるということすべてが、「美味しい物を食べる」という意味に含まれているのだと思います。それは家庭でもできることでしょうけれど、そういう人の根源的な楽しみだったり、悦びだったり、価値だったりするものを、私たちの店には提供できる機会があります。友達とのひと時を楽しみたい、英気を養いたいなど、お客様それぞれのお気持ちに応えられるよう、これからも進化させていきたいと思います。

ちょっとした意外性をしのばせて

石の蔵は、日常からやや非日常に寄った空間です。ふだんの生活の中での煩わしさ、喧噪、忙しさなどから、少し浮遊したひと時をお過ごしいただけます。その日常からちょっと浮遊した特別感を、空間とそこに見合った食事によって提供し、お客様にはリフレッシュしたり、リラックスしたり、リチャージしていただけたらと考えてきました。また、さらに非日常的な特別感の提供としては、この独特な雰囲気を生かして、レストランウエディングやコンサートなども行ってきました。

2001年の開店当初は、今のように蔵全体を活用したわけではなく、道路側のダイニングスペースのみで始めました。その後2006年に、ダイニングの奥に続く蔵を活用して、個室とギャラリー&ショップをつくり、2016年にはギャラリー&ショップから続く2階に、ラウンジをつくりました。

人がどのように思って、その空間での時間を過ごすのか。それは体験価値にもつながってくる大事なことです。照明の照度にしても、明るめかちょっと暗めかでは落ち着き方が違いますし、料理の見え方も変わって、食べる経験を左右します。開店当初、空間活用に対する専門的な知識や経験が私には足りてなく、東京のコンサルタントを介して、インテリアデザイナーの新藤力さんと照明デザイナーの山下裕子さんに空間づくりを手がけていただきました(詳しくは次号のジャーナルに掲載予定)。

満足というのは、想像の範囲内のことであり、感動というのはどこかに意外性とか、予期しないことがないと起こらないもの。インテリアや照明の専門家が関わってくださる中で、改めて気付きました。空間も料理もサービスも、究極の醍醐味はそこにあって、私が思う優れた体験価値というのは、そういう予期しない、ちょっとした意外性にあるのかもしれません。つまり、想定以上のもの。例えば、自分の好きなお酒があるというよりは、自分の好みを伝えると、そこで店のスタッフが想像を働かせて、飲んだことはないけれど好みに近いお酒を出してくれたら嬉しいですよね。そのお酒ありますよとお出しするよりも、要望を解釈して提案し、それでお客様に喜んでいただけたら、それはサービスの最大価値です。なかなか難しいことですし、同じことを繰り返してもダメです。でも、そういう思いを少しずつでも実現していけたらと思っています。

新しい提供としまして、この春よりスイーツのテイクアウトを始めました。これまでは店内でお召し上がりいただけても、テイクアウトはできませんでした。そのため、テイクアウトができるよう、ショップ側にスイーツ工房をつくり、クッキー、フィナンシェ、マドレーヌなどの焼き菓子を中心に、パティシエがオリジナルスイーツを開発中です。まだまだ究極の目標ですが、宇都宮に来たらあそこだよね、と寄っていただけるようなオンリーワンのお菓子を目指して、石の蔵らしいちょっとした意外性をしのばせたお菓子を作っていきたいと意気込んでいます。ぜひ、お立ち寄りください。

熊谷稔 料理長

熊谷稔 料理長
宇都宮にあること

初めて石の蔵の空間に身を置いた時のこと。まず、蔵の大きさ広さに圧倒されたのを覚えています。照明や空間独特の雰囲気を目の当たりにして、さて、どういうお料理をお出ししようかとずいぶん悩みました。以来十数年、この蔵が内包する時間や豊かさの奥行きみたいなものを受けとめながら、“空間に負けない料理”ということは、ずっと考え続けています。

当初は、大きい箱に対して見栄えのする料理をと考え、大きな皿を用意してもらったこともありました。いろいろやってみましたけれど、結局大事なのは、「食べて美味しい」「見て華やか」ということに尽きるのかなと。華やかさに味が伴っていてこそ、お客様にこの店の雰囲気を楽しんでいただけるのだと思っています。

当たり前ですが、「食べて美味しい」ことが私の料理の第一にあって、そのために材料をどうするか、ということを考えます。東京ではなく地方のレストランですから、その地方の色があった方がいいと思い、栃木県産の食材に注目しました。

宇都宮というと、やっぱり餃子のイメージがありますよね。では、ほかにどんな料理があるだろうか、日本料理ではどうだろうか、というとそんなには思い浮かびません。だからこそ、地元の食材を活用して美味しい料理をお出ししたい、そこが石の蔵らしさにつながるのではないかと、日々取り組んできました。生産者に直接会ったり、いろいろ調べ歩いたり。いまでは店で使うおおよその食材を、宇都宮を中心とした栃木県産でまかなえるようになりました。お客様から、宇都宮らしさ、栃木らしさを感じると仰っていただくこともあります。

地場の生産者に支えられて

私は生まれが福島なので、栃木県は福島県より面積が小さいですし、農家も少ないのかなと最初は思っていたんです。でも、いろんな人に出会って、話を聞いたりしている内に、宇都宮市内だけでも相当数の生産者方がいらっしゃって、県内には種類豊富な野菜があるとわかりました。都内のレストランなどでもいろいろな所で栃木産の野菜を使っていますね。

私が料理人になった頃は、生産者は農協を通して出荷するスタイルが一般的でしたけれど、いまは野菜の生産者がどこの誰か、消費者にわかるようになりました。生産者側にもそこを共有したいという欲求が出てきたので、よりわかりやすくなって、それぞれに自分たちは無農薬で作るとか、減農薬にするとか、変わった野菜を作るとか、さまざまな方針の方々と知り合えるようになりました。

実際に使わせていただくと、無農薬だから美味しいとは限りませんし、珍しい野菜でも美味しく料理できないとダメです。基本は私がその素材を好きにならないと使いこなせないので、自分がいいと思うものに絞り込んできています。

いま使っている食材はだいぶん使い慣れてきましたけれど、まだまだ自分たちが知らない生産者の方もいっぱいいらっしゃるので、今後も良い食材との出会いを求めて、自分たちで足を運んで使わせていただくことができたらと思っています。

石の蔵はランチビュッフェでもたくさんの食材を使いますし、食材の量は多いんですね。小規模な生産者の方はまかないきれないこともあるかもしれませんが、大事に育てられたものばかりですから、お互いに無理のないようにすることも大事で、食材の入手には常に心を配っています。

野菜が主役になれるように

素晴らしい食材と出会う中で、いつか野菜料理を主役にしたいと思うようになりました。そのことを意識しながら、素材と向き合い、料理を考案しています。

野菜料理の中でも人気のアラカルト「炙り野菜」は、炭火で焼いて仕上げます。アンチョビと大葉とオリーブオイルで作ったソースを合わせて召し上がっていただきます。野菜は季節によって変わり、炙ることに適した野菜を選んでいます。芋や蓮根などの根菜類は向いていますし、葉物野菜でもサッと炙ると風味や食感が引き立ちます。珍しいところでは、コールラビも美味しいですし、ロマネスコやオレンジブーケなどのブロッコリー・カリフラワー系の変種は見た目が綺麗な上、炙った時の甘味が格段に違いますね。炭火で焼くことで風味がよくなり、旨味や甘味を引き立たせるのだと思います。評判もよく、昨日もコース料理でお出ししたところ、お客様から追加のご注文をいただきましたが、その後もさらに追加をということでたいへん嬉しかったです。

「野菜の揚げ出し」もまた、通年人気の定番メニューです。「栃の木まいたけ」をメインに、旬の野菜に粉を打って素揚げし、大根おろしの餡をかけてお出しします。この舞茸は天然物に近い食感と風味が魅力ですね。生産者から直接入荷しています。

夜のメニューは、主役料理を意識したものが多く、焼き物、揚げ物、煮物など、素材を殺さないようにしつつも手を加えたお料理になります。本館はアラカルトでもコース料理でもお召し上がりいただけますが、個室はコース料理のみとなっています(室料はいただいておりません)。

ランチビュッフェでは、フレッシュサラダ、温野菜、和え物など、お惣菜的な野菜料理が中心です。栃の木まいたけを天ぷらにして、ビュッフェでもお出ししています。

ランチタイムのビュッフェコーナー
県内産の仕入れにこだわって

野菜に限らず、栃木県には牛肉も豚肉もいいものがあります。

和牛なら「とちぎ和牛」を使うことにしており、過去には全国で一位になったこともあるブランド牛肉です。脂身が甘く、肉質がやわらかく、というのはブランド牛全般に共通すると思いますが、とちぎ和牛はサッと焼いただけで美味しいので、グリルにして、いちばん素材がわかりやすいように、こちらはあまり仕事しないようにしてお出ししています。
交雑牛については、「日光霧降高原牛」「那須野が原高原牛」などいろいろあります。和牛に比べれば、交雑牛は肉質が若干かたい、サシが粗い、と言われますけれど、特徴を生かして料理します。そのままステーキにすることもありますし、本日はリブロースを使ってカツレツにしました。リブロースは脂身も多いので、最初に脂身は掃除してしまって、磨いた肉にしてから料理すると、やわらかさや旨味を味わっていただけます。肩の部位でしたら、煮込みにして和風シチュー仕立てにすることもあります。

豚肉も栃木県にはとてもいい肉があります。ただ、価格がほぼ牛肉くらいのものまであり、それはコスト的に難しいですね。豚肉で高級料理というのは、まだ牛肉ほどの付加価値はついていないということなのかもしれません。
石の蔵では、「和豚もちぶた」を使っています。群馬県にある会社が、独自のシステムで生産者から集めて出荷しているんですが、うちではあえて栃木県産に限って入荷できるように契約しています。ほかの豚肉も使ってみましたが、もちぶたは食感とか肉の味わいがよくて、私は好きですね。この豚肉を使うようになって、10年くらい経つんじゃないでしょうか。

部位はヒレやロースなどいろいろ使いますけれど、ずっと使い続けているのは肩ロースで、「和豚もちぶた肩ロースの燻焼き」は人気メニューの一つです。もちぶた肩ロースを表面を焼いてから、醤油ベースの出汁で煮た後、桜のチップで燻しておきます。スモークというほどではなく香りづけくらいに。それを切り分けますが、切った時点ではレアというか、ちょっと火が入っている程度。豚肉なので生ではお出しできませんから、最後にオーブンでサッと火を入れて仕上げます。少しチャーシューに似た作り方ですね。これは私が二期倶楽部で働いていた頃に、親方から牛肉で教わったものを、自分で豚肉用にアレンジしました。一年を通してお召し上がりいただけるメニューです。

欠かせない存在

調味料の中でとくにこだわっているのは、醤油、塩、味噌です。

「キッコーゴ丸大豆醤油」は、無農薬の丸大豆で作られたものです。生産地は東京ですが、風味とコクが、私の作りたい料理に向いているので使っています。

塩は用途によっていろいろ使い分けていますが、お客様に塩をつけて召し上がっていただく場合は、「藻塩」をお出ししています。いま扱っているのは対馬産のものです。

味噌は県内の大田原市というところにある「とべや」さんのものです。田舎味噌ですけれど塩分控えめで、味噌の風味と味わいがよいものを探している中で出会いました。石の蔵でお出ししている味噌汁は、米と麦の混合味噌を使用しています。

それと、和食なのでお出汁は大事です。北海道の真昆布、鰹節は焼津のもので、背の血合いを抜いた臭みのないものを使っています。

風味の料理

日々いろんな料理を作る中で、最も心がけているのは、甘味、塩味、酸味、苦味、辛味などに対しての、風味です。どんな風味がこの素材にあって、それをどうしたらより引き立たせられるのか、ということを常に考えています。

たとえば、魚介類のもつ甘味というのは、味として甘いわけではなくて甘味を感じるわけです。そういう素材のもつ風味によって、取り合わせる素材も変わります。魚は生ものなので、時間と共に鮮度は落ちて行き、旨味もなくなって嫌な部分が出てきますよね。そうすると風味も失われていきます。風味が臭みになってしまったら、もう使えないですから、風味がきちっとあるうちに使わないといけません。それは、甘辛く煮付けるような料理であっても同じで、濃い味付けなら差はそれほどないように思えるかもしれませんが、鮮度の良い状態のもの、旨味のあるものを料理すると、やはり風味があって美味しさも違うんですね。私の料理は、風味を大事にする傾向があるのかなと思います。


取材後記「風味」という感覚を何より大事にされている熊谷料理長。さわやかに季節を捉える感性、繊細で丁寧な手仕事によって、石の蔵ならではの日本料理が生み出されています。“空間に負けない料理”という熊谷さんの言葉に、「空間と料理と食す人、そこに快い関係を築きたい」という料理長としての真摯な想いを垣間見た気がしました。大谷石の空間は、蔵が歩んできた時間、風土、面影など、さまざまなものが地域とつながっていて、日本料理という風土と社会に育まれてきた料理とも通じ合う何かがあるのでしょう。この空間をとらえて目指す料理は、蔵と共にこれまでとこれからをつないでいきます。